「友達がいるのに寂しい…」「どこにも居場所がない…」「オンラインが苦手…」「ちょっとのことで落ち込む…」
不安な気持ちがちょっとラクになる「考え方」のヒントが詰まった大人気エッセイの続編、「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」をご紹介します。
誰にもわかってもらえないと感じる
自分がわからないことは、他人にもわからない
「誰も私をわかってくれない」。私も、そんな風に考えた時期がありました。
今思うと、一番自分をわかっていないのは自分でした。周りから心配されて、手を差し伸べてもらっても、どうしていいか、わからなかったんです。
相談と言いながら、自分が自分を理解するための、答えそのものを言ってくれる人を、外に求めていた気がします。
誰かが提案した一言の中に、自分の中の疑問に気づくためのヒントがあるのではないか?それを言い当ててハッとさせてくれるのではないか?
でも、答えの出せない問題は人にたずねてはいけないと思いました。
こういう問題って、自分が正解を見つけないと納得ができないし、相手にも心配をかけたり不快な気持ちにさせたり、誰にもいいことがないからです。
最近は、人間には答えを出せない問題があってもいいのだと思うようにしています。
すべてを知ってしまえば、人生は楽しくありません。自分の中にもまだ未知の部分があるって、ある意味神秘的で、素敵なことでもあります。
感情をコントロールできない
感情は、コントロールしなくてもいい
何かに対して感情的になったり、気持ちの浮き沈みが激しいと、不安になることもあると思います。
感情には喜怒哀楽がありますが、喜んだり楽しんだりはいいけれど、怒りを抑えられなかったり、ことあるごとに悲しんでしまうようだと、「感情をコントロールできればいいのに…」なんて思うこともあるのではないでしょうか?
私は、理性とかモラルとか、そういったものをもって自分の行動を制御するのはアリだと思います。それは社会を生きる上でも役立つスキルです。でも、感情って、そういうものとはちょっと違うんです。
感情は、物事に対して抱く気持ちそのものです。だから、怒った後で行動を制御するのは良いのですが、その手前の、怒りを感じる気持ちをコントロールしてしまうのは、少し危険だと思いました。
順序立てて言うと、「嫌なことがある」→「怒る」→「理性で対処する」。これはいいと思います。でも、「嫌なことがある」→「怒らないように感情をコントロールする」は、危ないと思うんです。
こういう風に感情を無理に抑え込むのは、お坊さんが悟りを開くための修行でもなければ、一種の洗脳です。
私も昔、「感情をコントロールしてしまえばいい」と思った時期がありました。悲しいことがあっても、悲しいと思わないようにすれば、いつか悲しいという気持ちがなくなるのではないかと。
私の経験で言えば、今だから笑って言えますが、あのまま続けていたら心を病んでいたと思います。何かの度に、自分の中で叫んでいるもう一人の自分を監禁しているような…。
「感情を押し殺す」という言葉がありますが、度を過ぎれば、本当に感情を殺してしまうのだと思います。
そして続けるうちに、怒りや悲しみだけ抑えられればよかったのに、楽しい時や嬉しい時に、どう喜べばいいか、わからなくなってしまいました。
結局…、そんな日が続いたあとで、身近な人に不幸がありました。どんなに抑えても泣きたくて、ダメだと命令しても涙が溢れて止まらなくて…。
でも、その時に、それは止めてはいけない気持ちなのだと気づきました。つらい時は、悲しむべきなのだと、旅立つ人が心を引き戻してくれたのかもしれません。
喜怒哀楽は、失えば、人としての何かが欠けてしまいます。怒ったり悲しんだりする日もあるから、喜んだり楽しんだりするのが、幸せなことだとわかります。
感情はコントロールするより取り戻す方が難しいです。簡単に操ってはいけないものだと思います。
※この連載は『続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』(サンクチュアリ出版)からの転載です。
次回予告
ネガティブな考え方をやめるには…?
次回は2021年6月6日(日)公開予定です。
お楽しみに!
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続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。
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先が読めない今の時代、不安な気持ちがちょっとラクになる「考え方」のヒントが詰まったエッセイです。
第1巻も合わせて、ぜひお手にとってみてくださいね。
多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。