こんにちは、スガカズです。
前回まで、ADHDの兄弟の特徴や接し方についてお話してきました。今でこそこんなふうに過去を振り返ることができている私ですが、長男や次男がADHDだとわかったときには、自分を責めて落ち込んでいたものです。
「普通の子育て」と比べて自分に何が足りないのか、粗探しをしては自己嫌悪に陥っていた時期もありました。
今回は私が、どのようにして「子供がADHDである」ことを受け入れられるようになったのかをお話したいと思います
子供のADHDは遺伝かも?と思ったとき
実は私の兄は、重度の知的障害です。
母親から聞いた話によると、兄は3歳頃に長期間高熱が出続けたことが原因だったようで、ある日急に会話ができなくなったのだそうです。
つまり後天性のものであると思われるのですが…。
また私は、忘れっぽくてのんびりしているところがあるので、発達障害である可能性もありそうです。
生活をする上で明らかな困難に直面することはあまりありませんし、他人から指摘されたこともないのですが、自分では「そうかもな」と思うことがあります。
なので、長男・次男がADHDだとわかったとき、「私のせいかもしれない」と、遺伝を疑いました。
病院の先生に相談したこともありましたが、結局のところ、「遺伝である可能性は捨てきれないが、確実な原因とは言えない」とのことでした(★)。
ADHDには、遺伝的要因があることが分かっています(※1)。つまり、ママ・パパ・祖父母などの家族にADHDの人がいると、ADHDの子供が生まれる可能性がそうでないときよりも高くなります。
ただし、可能性が高くなるというだけで必ず遺伝するわけではありませんし、ADHDになる原因はまだはっきりと分かっておらず、特定が難しいのが現状です。
自分の母との関わりは、
褒められた記憶ばかりだった
今でいう「きょうだい児」として育った私。私の母は、障害がある兄の世話が忙しかったので、私が母を独り占めできることはめったにありませんでした。
ですが、「母にかまってもらえなかった」「寂しかった」という記憶はありません。不思議と褒められた思い出ばかり心に残っているのです。
いわゆる「普通ではない家庭」で育ったことを大変だと思うことはあっても、不幸だとは思いませんでした。
あえて兄のことを隠すようなこともなかったし、学校の友達は、私を普通に受け入れてくれて、普通に接してくれました。
子供が不幸かどうかは、
親や他人が決めることではない
長男・次男がADHDだとわかり、自分のことを責めてばかりいた私も、過去の経験を思い起こして改めて感じました。
発達障害が不幸かというと、そうとは限らないのです。なぜなら私は、自分が発達障害かもしれなくても、兄に重度の障害があっても、自分が不幸だとは思えないから。
不幸かどうかは本人が判断することですし、親が決めることではありません。
親は子供の手が離れるまで、近くでサポートしてあげれば良いのだと思います
私が子供をサポートする上で意識しているのは、次の4点です。
- 周りに迷惑をかけたらきちんと謝り、配慮すること。
- 改善点を見つけて環境を整えてあげること。
- 心の安定に努め、自尊心を高めてあげること。
- やりたいことはやらせ、才能を伸ばしてあげること。
遺伝やしつけのせいにしてママが自分を責めたり、子供の前で愚痴を言ったりしても、何の解決にもなりませんし、現実はかわりません。
時には愚痴を言いたくなるときもありますが、そんなときは、「ごめんね、お母さん困ってるんだ。」と、困っていることを本人に伝えてあげれば良いと思います。
子供って、もともとお母さん想いなんです。
発達障害でも定型発達でも、最終的に
幸せだと思える人生を送ってほしい!
人生っていろいろなことがあって当たり前。それは、発達障害でも定型発達でも同じです。だけど、辛いことがあっても前向きになれる「へこたれない心」があれば、私たち(親)がいなくても、子供はきっと大丈夫!
そのために子供たちが、「自立心」と「自尊心」、そして、「思いやり」を持った大人になってくれますように。親として今後も、サポートしていきたいと思っています。
全世界のママのみなさん、一緒にがんばりましょうね!
スガカズ
作者