どうにもこうにも自動的に母親になれるものだと思っていた。
まして私は助産師だ。
子どもを1人産むことで、この仕事にも深みが生まれると思っていたし、自身の出産育児で得た知識や経験を、さらに伝えていくことができる。なぁに、最高じゃないかと豪語していた。
沐浴、授乳、育児のノウハウは仕事でたくさん経験している。出産もイメージングできている。
だって私は助産師だ。
私はいわゆるできちゃった婚で夫と結婚し、夫婦2人の時間もままならないままバタバタと籍を入れ、結婚式を挙げ、妊娠9か月で産休に入った。
ここまでは、特に大きなトラブルもなく、いわゆる元気な妊婦で、よく言う
「花が咲いている、鳥の声が聞こえる、など、小さなことでも感動するよ、妊娠中は」
と言う友人の声も、わからなくはなかった(感動、というまではいかないなあ正直…と思ったが)。
どんどん大きくなるお腹が、愛おしく、大きなお腹でぎりぎりまで働いたが、お産に関わるたびに、次は私の番だ、と意気込み、忙しい毎日の中にも幸せを感じていた。
迎えた産後の「リアル」
そして、その時は訪れた。とてもとても愛おしく、可愛いわが子を胸に抱き、喜びと幸福感に満ち溢れた時間は宝物だ。
母親になった。私がママよ、ありがとう。本当にありがとう。これからよろしくね。
そうつづった日記は、1週間と続かなかった。助産師だからという気負いも相まって、母乳を絞り出す日々。
授乳、おむつ交換、泣きへの対処、授乳、おむつ交換、泣きへの対処、授乳、おむつ交換…
これはなんなんだ?これが育児というものなのか?
入れ替わり訪室してくれる助産師や、面会に来てくれる家族、友人のいる間は、笑顔で話ができる。だが、1人で赤ちゃんと向き合おうとするととてつもない不安が襲ってくる。
冷静に自身の状態をアセスメントしながら、産後の不安定なホルモンのせいにする。
私は正常だ。なんてことない。だって沐浴は5分でできるし、おむつ交換もお手の物。わからないことはないし、母性看護学のノウハウも、育児書も1冊、丸々頭に入っているのだから。
そんな夜を何日か過ごし、退院を迎える日も「病院の中で気を使いすぎたせいだ。退院したら、自分のペースでうまくやれる」、そんな気持ちを信じて疑わなかった。
けれど、来る日も来る日も、その不安と戦わずにはいられなかった。
里帰り出産をしたのだが、まだ両親も働いていたため、夜間の授乳やおむつ交換は1人でこなすことにした。両親も、助産師である私がやる方が早いし、手際がいいと言ってくれた。
孫はとてもとても可愛いもののようで、休みの日の昼間は私に休む時間をくれたりもした。
体験して初めてわかる、母のしんどさ
そんな日々を繰り返し、1ヶ月が過ぎた。
実家から2時間半ほどかかる自分の自宅に戻って1週間がたったころ、体が限界を感じていたのだろう。
ただでさえ母乳が少なく、頻回の授乳になっていたが、何をしても泣き止まない息子を抱いて、真っ暗闇の部屋の中で揺らしながらあやしていた時、突然逃げ出したい衝動にかられた。
この子を置いて今、自分が逃げたらどうなるんやろう?
この子を抱くこの両手を離したらどうなるんやろう?
頭の中で、あり得ない、そんなことするわけないというもう一つの頭はあるのだが、考えずにはいられなかった。
夫は数日家を空け、数日休みという仕事のサイクルであったため、すぐに頼る人もおらず、泣き続ける息子を見ていると涙が止まらなかった。
それで、「お母さんもしんどいよ。助けて。助けて。もう、泣き止んで」と、わんわん泣いた。どちらが赤ん坊かわからないくらい泣いた。
その時に初めてミルクを作り、なりふり構わず哺乳瓶いっぱいのミルクを与え、満腹になりすぎた息子が乳首を吐き出すまで、何度も哺乳瓶を咥えさせた。
何が助産師だ。何が周産期のプロだ。私は何も知らなかった。
母親の苦しみやしんどさを何もわかっていなかった。
ごめんなさい。そんな思いで、今まで関わってきた母親たちに許しを請うた。
それからというもの、私は一日の中で一切の家事を放置し、ただひたすらに息子に向き合い続けた。今日も息子と私、生きていてよかった。今日も息子が死ななくてよかった。そんな毎日だった。
助産師として伝えるべきこと
その中で得たものは、一体なんだったのか。
今思えば、完全に産後のうつ状態だった。眠れない日々、初めての育児の不安は、想像以上の孤独と共に毎日襲ってくる巨大で、見えない真っ黒な闇の塊だった。
こんなにもうまくいかない、思い通りにならないことが、これまでの人生にあっただろうか。
まして私は助産師だ。いつもいつもたくさんの母親に、大丈夫、きっとできるよ、頑張りましょう、と声をかけてきた、張本人だ。
あぁ、悔しい。悔しいというより、申し訳ない。
こんなに大変な毎日を送るすべての母親に、今なら、慰めの言葉も、励ましの言葉も、いらないことがよくわかる。
ただ傍にいて「今日もこの子の母親だったのね。一番大変な仕事を成し遂げていたのね。お疲れ様」と伝えればよかったのだ。
なんてことだ。
それからの私は、一日の中で最低限やるべきことは、授乳とおむつ交換、抱っこ。これだけだと言い聞かせた。
下手したら沐浴なんぞ、毎日などいらない。死ぬことはない。洗濯も、掃除も、しなくても死なない。
料理も、買い物も、全てを他者か、ネットか、家族か、友人など、どのリソースを使うことが効率的かを考え、実践した。自分と息子が死なない道は、それだけだ。
そうして今日も生きている。
みんな、じゅうぶん母親している
そんな息子も小学6年生になった。
あの頃の自分にもう一度戻れるなら、ちゃんと、じゅうぶん母親したじゃないの。と言ってあげたい。
部屋もぐちゃぐちゃで、料理も出来合いで、生後2か月目からミルク哺乳で、沐浴も結構さぼって、出っ歯になると言ってたおしゃぶりも使いまくったけど(ちなみに息子は出っ歯じゃない)、ちゃんと息子は大きくなってくれた。
ちょっと生意気言うようになったけど、健康そのもので、今では力仕事も、料理も手伝ってくれる、優しい息子に育ったよ。
だから今、毎日母親たちに伝えているのは、
じゅうぶん母親されていますよ。
ということ。
赤ちゃんを抱いている。声をかけている。母乳でもミルクでもどっちでもいいから栄養を与えている。排泄を助けている。
それだけで、じゅうぶん。
「~しなければ」「~がいいと思う」「~がおすすめ」「~してみたら?」「前向きにね」「頑張りましょうね」「よくできましたね」「考え方を変えてみましょう」「赤ちゃんにはお母さんだけです」「赤ちゃんのためには…」
こういった言葉が、どれだけ母親たちに脅迫めいた、理想の育児を押し付けていたのか。
自身の経験は、こんな形で、助産師である私を深めてくれることになりました。そして自動的に母親になれるわけじゃないけれど、確実に母親になっていける毎日がそこにあることにも、気づかされました。
だから、できてない母親なんていない。
この世に産み落とした命を抱いている。それだけでじゅうぶん、母親だからです。
息子よ、私のもとに産まれてくれて、本当にありがとう。
そしてこんなにも素敵なことに気づかせてくれた出産、育児の経験よ。
その経験に精いっぱい、乾杯!
記事提供:machilda
machilda
作者
日本では法律上なぜか女性というジェンダーをもってしか就けない職業、助産師という仕事をしています。毎日が誰かの誕生日という、特別な瞬間に立ち会える仕事にやりがいを感じていますが、もう辞めようと思っています。何故?産婦人科のリアルとともにお届け。世の母親、父親、家族、命の誕生に乾杯!note
ポッケ編集部PICKUP育児エッセイ
作者