先日、1歳の息子の肘が抜けました。
手をつないで歩いていて転びそうになったときに少し強めに手を引っ張ったら、激しく泣く。
抱きあげるとすぐに泣き止みご機嫌に戻ったけれど、左手を全く使おうとしません。左手を触るとまた激しく泣く。
これは肘内障、いわゆる肘脱臼だなと思い、かかりつけの小児科に電話。小さい子どもは関節が未発達のためよくあることだそうです。
すぐに病院に行き、先生が慣れた様子で腕を触って「はい、戻ったよ~」息子けろっと元通り。5秒で終了。肘が外れてから治るまで、20分くらい。
小児科が家から徒歩1分だったこと、混んでいない時間だったこと、私が超冷静に1秒足りとも無駄のないスケジュールで動けたこと(診察が長引くかもしれないと思ったので軽めに昼食も食べさせた。この手際ほめてほしい)。
色々と運が良く、すべてが一瞬でした。
子の命、1人で背負うには重い
昼寝をさせてほっと一段落ついたとき、ほんのり、暗い気持ちになりました。
子ども1人の健康が、命が、すべてが、私ひとりにかかっている。
何を今さらと笑われるでしょうか。
幸いなことに、産まれてこの方病気知らずで健康体の息子。病院にかかることもほとんどなく、そんな当たり前の事実の重みをなかなか自分事として感じられていなかったのかもしれません。
もし今私が倒れたら、息子はどうなるんだろう。
単身赴任中の夫は妻と連絡が取れないことにいつごろ気づくだろう。もし1歳の子どもが丸一日ご飯を食べられなかったら。近所の人は気づいてくれるかな。
ズボラ育児オブザイヤー金賞受賞の私ですら、ちょっと怖くなったのです。
死なせない育児、意外と難しい
育児を頑張りすぎて疲れてしまうパパママへ向けた、頑張らなくていい、家事なんて適当でいい、親子で笑えていればそれでいいという意味の「死なせない育児」という言葉が話題になりました。
私もこのマインドは大賛成。
だけど最近よく思うのは、「油断したら1歳はすぐ死ぬ」ということ。
気が付けば不安定なソファの背もたれに立っていたり、まったく怖がることなく下りの階段に向かって走っていったり、大好きな車を見るため迷いなく道路に出ようとしたり。
ホント勘弁してほしい。
死なせない育児、想像していたより難易度高いぞ…。
寝かしつけの後にどっと疲れが押し寄せるので、子を無事に生かしておくだけで相当な体力・精神力が削られているのを実感します。
精神的ワンオペ育児を避けるために
危険行為を阻止するのが主なお仕事となっている今日このごろ。
肘が抜けて病院に駆け込むというプチ騒動を通じて、やっぱり育児の重責は複数人で分け合うべきだわ、という当たり前すぎる当たり前を改めて実感しました。
保育園の送迎とかお世話とかそういう体を動かすものだけではありません。
考えること、選択することも育児負担のうち結構な割合を占めています。
そこをシェアしたい。
そして誰か一人に育児の負担が偏っている場合は、負担している側の「話をただ聞く」こともきっと大切。
育児に追われて言語化能力が下がり、オチのない話しかできなくなったのではありません(いや、ちょっとあるかも)。
話すことで、重荷を分け合いたいのです。
たったそれだけでも、精神的ワンオペ状態は避けられるのかもしれないな、と思っています。
記事提供:田中愛
田中愛
作者
京大文学部→RSK山陽放送アナウンサー。 日々頭に浮かんでくるものを消える前にそっと置いていきます。アナウンサーの仕事のこと。子育てのこと。→note、Twitter(@aaaai09130706)。
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