ー神奈川県にある、1軒の助産院ー
「おっぱいが出なくて、足りているのか不安で」「授乳、授乳で寝る暇がなくて、もう限界です」
そんな悩みを抱えて、不安と緊張で張り詰めた表情のママが、くる日もくる日も訪れます。
これは、365日、ママと一緒に悩み、喜び、涙する、ある助産院の院長、みつ先生の日記です。
【♯8】体重が増えない…
悩みを増長させてしまう家族の影
プルルルル…、プルルルル…。
電話に応対しているスタッフが、なんだか歯切れの悪い返答をしている。
また、あのママからの電話かしら…。
2週間くらい前から、何度か電話をかけてきてくれるママがいる。
電話越しのママの「声」は、とっても大切な情報。声音や声の大きさ、そして発する単語から、ママがどんな状況に置かれているのかだいたいわかってしまう。
このママは、「でも、夫と義母が…」をくり返し、予約をすることなく電話を切ってしまうことが続いていた。
声音は簡単にかき消されそうなほどか細く、そして、背後にいる家族を気にしながら喋っているような様子がとっても気になったの。
電話を切ったスタッフが、わたしを見て、無言で首を横に振った。
あぁ、またダメだったのね…。
こんなとき、わたしは心の中で祈ることしかできない。
どうか、どうかママが限界に達する前に、ここに来られますように。
つながったママとの線
そのママのことが頭の片隅から離れないまま数日間が過ぎていったある日の夕方、電話が鳴った。
その瞬間、なぜだかわからないけれど、「あのママだ」って思ったの。
電話に出ると、まるで助けを求めるかのような声音でこう言ったの。
「赤ちゃんの体重が増えていないんです…」
「わたし、心配なんです。この子のことが心配で心配でたまらないんです」
「夫や義母には、そんな所に行っても仕方ないだろうって言われたけれど…」
「でも、わたしは診てほしいんです…」
「だって、わたしはこの子を守らなくちゃいけないから……」
ママが何かを気にして、急いで電話を切ろうとした。きっと、家族が帰ってきたのだろう。
わたしは願いを込めてママに告げたの。「明日、赤ちゃんとママのこと待っているからね」
家族には内緒で…
翌日、ママは予約した時間通りにやって来たの、とってもこわばった表情をして。
やはり、お義母さんや旦那さんには内緒で来たのだと言う。
こういうケースは少なくないの。お義母さんや旦那さん、ママ友、いろんな人がいろんなことを言うものね。
そして、育児書やネットにもいろいろな情報が溢れている。
だからこそ、ママが選んだ、ママが納得できる育児がいちばんだと思う。
今日も、わたしはママの目を見てこう言うの。
「ママ、来てくれてありがとう。ママと赤ちゃんにとっていちばんいい方法を探しましょうね」
見て納得することが安心感につながる
ママが、赤ちゃんが小さく生まれたこと、それを自分のせいだとお義母さんと旦那さんに言われたこと、そして、生まれてから約3ヶ月、毎日体重を測り続けてきたことを話してくれた。
感情をあらわにすることもなく、淡々と話すその姿に、わたしもスタッフも胸が張り裂けそうだった。
「辛い」
「悲しい」
「苦しい」
そんな感情を、ママは「自分がこの子の母親だ」というその一心で振り払ってきたのね。
わたしはゆっくりと息を吐いてから、ママに語りかけたの。
「ママ、赤ちゃんの体重を測ってみましょうね」
「え?体重なら毎日測ってますけど…」
「今日、母子手帳は持ってきてくれた?」
ママが取り出した母子手帳を受け取り、あるページを開いたの。
「ママ、1ヶ月健診のときの赤ちゃんの体重は覚えている?あと、2ヶ月のときの体重も」
ママは空を見たまま、体重をスラスラ口にした。
母子手帳の成長曲線に生後1ヶ月と生後2ヶ月、そして今測った体重を点で書き込み、太い線で結んで見せてあげたの。はっきり見える太い線で。
「ママ、しっかり体重増えているじゃない!この子のペースで、順調に大きくなっているのよ!」
「あっ…」
ママは両手で顔を覆い、声を上げて子供のように泣き始めてしまったの。
今まで誰にも認められず、一人で頑張ってきたのよね。その重荷が肩から降りたのよね。
ママ、よく頑張ったね。ママが、赤ちゃんをこんなに大きく育てたのよ。
ママ、育児は一人で抱え込まないで
赤ちゃんの体重の増えが思わしくないと悩んで相談に来てくれるママは、とっても多いの。
でもね、母子手帳を見せてもらうと、成長曲線に体重の点を書き込んで線で結んでいるママはほとんどいないんです。
だから、赤ちゃんの体重の増えを気にするママには、母子手帳の成長曲線に記入するように勧めています。
周りの赤ちゃんと比較するのではなくて、赤ちゃんなりの体重の増え方をしていれば、それで問題ないのよ。
しばらくして泣き止んだママに、こう声をかけて見送ったの。
「ママ、一人でよく頑張ってきたね、偉かったね。でも、ママがこんなに悩んでいたってこと、育児がこんなに大変なんだってこと、パパにもわかってもらわなくちゃね」
ママは満面の笑みで、はっきりと聞こえる声で「はい」と頷いた。
やっぱり、ママは笑っているのがいちばんよね。赤ちゃんも、笑っているママが大好きなのよ。
佐藤みつ
さとう みつ
1979年 神奈川県立衛生看護専門学校助産師科卒業。大学病院・個人病院での勤務、自治体の新生児訪問などを経て、「ママが気軽に立ち寄れる場所を作ってあげたい」という気持ちから、1993年に助産院「マタニティハウスSATO」を開業。分娩やおっぱいマッサージ、ベビーマッサージなどを行っています。「昔、取り上げた子がママになって、その子がお産をしに来てくれるなんて幸せでしょ?」
佐藤みつ
さとう・みつ