産後の生活リズムの変化などによって夫婦関係に亀裂が入る「産後クライシス」。
3人のママであるゆきちさんも、第1子の出産後に産後クライシスを経験。その後さらに2人を出産した今だからこそ感じることをご紹介します。
家族が危機を迎える前に
我が家にはそれぞれ、小1、年少、1歳の子どもがいる。3人とも可愛くてかけがえのない存在だ。
3人も子どもがいるという事は夫婦関係もうまくいっているんでしょう?と思われがちだが、「超ラブラブな関係とまでは言えないが概ね良好です」というのが正直なところかもしれない。
そして長男出産後は(私の中では)産後クライシスと言える危機があった。
個人的に産後の夫婦の危機は、育児にまつわるエトセトラを共有できない事が原因じゃないかと考えている。
いま思えば、お互いにコミュニケーション不足のすれ違いとしか言いようがないのだが、その時ははじめての育児で精一杯だったのだ。
そこから何とか持ち直した自分も夫も褒めてあげたい気持ちである(関係性を終わらせるのもひとつの道だと思っている)。
今回は産後クライシスに陥る前に読んでほしい育児の話をまとめてみた。乳幼児育児をつらく感じている方に読んでもらえると嬉しい。
育児はいきなりラーメン店長
まず伝えたいのは、(当たり前過ぎるけど)男女問わず子どもを産んだら自動的に育児ができるようになるわけではないということ。
10ヶ月間お腹で育てたからと言って自然とオムツ替えが出来るわけでもなく、産まれる前から抱っこがうまいわけでもない。
何もかもはじめてなのだ。
ラーメン屋で働く事になってもアルバイト初日でラーメンのスープ作りはできないだろう。ところがそれぐらい重要な任務をいきなりどどんと担うことになるのが育児である。
いきなり店長クラスの扱いなのだ。
え???右も左も分からない…。塩は?器は?お湯はどこから出るの?え、麺茹でるのが先なの?てか、醤油は入れるの?ネギは!?メンマは!?チャーシューはどこだ!?!?そもそもこれは何ラーメンを作っているのだ…!!
というような感じに(?)なるのが初めての育児だと心得てほしいのだ。
育児はいきなりラーメン店長だ。現場に入ってみてはじめて分かることもたくさんある。個人的には、そこに男女の性差はないと考えている。
育児にも向き不向きがある
ここまで書いてきた内容を読めば自然と合点がいくと思うが、育児には職業と同じで向き不向きがある。
誰も彼もがラーメン屋の店長や芸術家やモデルになれるわけじゃないように、育児が得意な人とそうじゃない人がいる。
知人に6人の子を持つ方がいるが、彼女は育児を苦しく感じたことがないと言っていて、その時2人育児を必死でこなしていた私は目ん玉が飛び出る思いをした。
いつもお子さん達の素晴らしさを語ってくれる素敵な女性だが、その彼女と育児を比べるのは自分を追い詰めるだけなので不毛過ぎるというのは想像に難くない。
彼女は育児が天才的に向いているのだろうし、そもそもそんな高レベルな方と比べてもしょうがないのだ。
マライアキャリーと自分の歌を比べて落ち込む必要がないように。
子どもが小さいうちの育児のハードルは低ければ低いほど良い。
ぜひ、1日死なせないだけでも素晴らしいのだと自覚してほしい!!
育児の辛さの本質とは
個人的な感覚になるのだが、育児のつらさはコントロールが効かないことにある。
(まだ母親歴6年なので乳幼児限定の話になるのだが)寝る時間や起きるタイミングでさえ自分で決められない。
これは当初、想像以上にきつかった。
特に1人目育児の時は今まで自由に出来ていた事がそうじゃなくなるのでギャップが大きいと思う。
自分でコントロール出来ることを、「コントローラビリティ」というらしい。
この単語を聞いた時に「これだ!!」と思った。
1人目育児の時にコントローラビリティを失った私はただただイライラして夫にあたっていた。
自分でも何が原因か、どうしたいのかが全く分からなくて、子どもは可愛いはずなのにどうしてこんなにイライラするんだ!!と訳もわからず怒っては泣いていた。
本人も分かってないのだから夫に分かるはずもない。だけど今なら分かる。
私は「完全に自分でコントロールできる時間」が欲しかったのだ。(性格上、家にいるとどうしても育児に全突っ込みしてしまう傾向があります…)
このコントロールできない状況というのは、ハンドルを握らせてもらえないコーヒーカップに似ている(遊園地にあるやつね!)。
いつスピードが速くなるのか、止まるのかさえ分からない。右にいくのか左にいくのか、進路も見えない。酔っていても止めてもらえない。といった感じである。
想像するだけでつらくない??(私はつらいぞ!)
少しでも、コントローラビリティを保つこと
そしてこのコントローラビリティというのは幸福感とも関係してくると聞く。
せっかく可愛い子どもが産まれたのだから幸福感は高めていきたいではないか。
意味不明にイライラして怒って泣いている親よりも、幸福感に満ちている親の方が子どもの情操教育にも良いに違いない。
その為にも、自分で完全にコントロールできる時間を持つことをおすすめする。
父親も母親も、【親】という役割から少しだけ離れて【自分】に戻る時間があると良いのだと思う。そしてそこに罪悪感はいらないよと伝えたい。
真っ青な顔で、「自分は!!自ら乗ったので降りるわけにはいきません!!!」と、予測不能な動きのコーヒーカップに乗り続ける人が居たら止めるでしょう。
少し休憩してまた気持ちが落ち着いたら乗ればいいのだ。
少しの間降りるだけで、コーヒーカップを捨てるわけじゃないのだから。
これも当たり前なのだが、高速グルグルコーヒーカップはいつまでも続かない。
少しずつハンドルを握らせてもらえる時間が増えてきて、いつの間にか同乗者は自分のカップを見つけてそこに移っているものなのかもしれない。
私の場合、生活の全てを子どもにコントロールされているように感じてとても苦しかった。
母親は育児ができて当たり前という思い込みもプラスして自分を追い込んでいた。
それを夫にぶつけて喧嘩になっても、ただ言い合いになるだけで解決策も見つからずにこの人と子どもを育てていけるのかと深刻になったりもした。
自分の時間が欲しいというのも贅沢なワガママのように感じていた。
でもそうじゃない。
育児の天才じゃない私には、自分を保つためにはコントロールできる時間が必要だ。
もし乳幼児の育児に疲れているのなら、【家族の笑顔の総量を増やすため】にも、ぜひコントローラビリティを意識してみてほしい。
イライラするのはあなたのせいじゃない。
1日の中で自分でコントロールできる時間がどのくらいあるかを一度確かめてみて、パートナーと話し合うのが本当に大切だと痛感している。
そして必要に応じて育児や家事をアウトソーシングするのも今の時代良いかもしれない。
記事提供:ゆきち
ポッケ編集部PICKUP育児エッセイ
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