ー神奈川県にある、1軒の助産院ー
「おっぱいが出なくて、足りているのか不安で」「授乳、授乳で寝る暇がなくて、もう限界です」
そんな悩みを抱えて、不安と緊張で張り詰めた表情のママが、くる日もくる日も訪れます。
これは、365日、ママと一緒に悩み、喜び、涙する、ある助産院の院長、みつ先生の日記です。
【♯6】あれもこれもダメ!母乳と食べ物
限界まで我慢した声
予約の時間より、10分以上も早く押されたチャイム。
耳を済ませると、呼ばれた名前にわずかに聞き取れるくらいの大きさで返事をする声が聞こえた。
やがて、肩で息をしながら、今にも倒れそうな足取りのママが入ってきた、真っ赤な顔をして。
あぁ、こんなになるまで我慢して…。
おっぱいの痛みで、昨日の晩はほとんど眠れていないよね。辛かったね、痛かったよね、ママ。
「あれもダメ!これもダメって!」
ママに触れなくても、体が熱を持っていることは明らかだった。
そして、ママのおっぱいは詰まりかけて、岩のように固く張ってしまっていたの。
「ママ、辛かったね。痛かったよね」そう声をかけると、彼女の中で何かがパチンとはじけて、溜まっていた我慢が涙と一緒に溢れ出した。
「あれもダメ!これもダメ!って」
「義母には食事内容をいちいちチェックされるし」
「もう疲れちゃって、イライラして…」
「ずっと、ずっと我慢してきたチョコをほんの一口食べたら『赤ちゃんがかわいそうだと思わないの?』って」
「かわいそうって…、かわいそうって……」
「母親になってからあれも我慢、これも我慢」
「あれもこれも我慢できないと、母親失格なんですか?赤ちゃんがかわいそうなんですか?わたしはダメな母親なんですか?」
最後は悲鳴のような叫び声で、わたしも周りにいたスタッフも、涙を落とさずにはいられなかった。
ママが痛かったのはおっぱいだけじゃない。
心が、心がずっとずっと痛かったんだよね。
大丈夫、わたしがなんとかしてあげるから
ここからはわたしの出番。おっぱいを見る前に、わたしはママに正直に話してお願いしたの。
「ママ、ママのおっぱいを見させてください。でもね、ちょっと手こずっちゃうかもしれない」
きょとんとした表情で、ママはわたしの顔を見つめてきた。
「アイスとかケーキを食べておっぱいが詰まっちゃったときは、コルクの栓が抜けるみたいにスポーンって取れることが多いの」
ぱちぱちと瞬きをして、ママは不思議そうな表情をしている。
「チョコレートのときって、なんだか手強いの。不思議なんだけれど、詰まっている乳腺がね、なんだか見つけにくいのよ」
「でも、ママがチョコを食べて少しでも元気になれたのなら、それでいいじゃない。大丈夫、わたしがなんとかしてあげるから」
もう大丈夫、背中がそう言っている
結局、その日だけではおっぱいの詰まりは解消せず、悪化した乳腺炎は、立て続けに2〜3回診ることできれいに治ったの。
でもね、内心では初日には「もう大丈夫」って思って、ママの背中を見送ったの。
ママは、心の奥の方に重く沈んでいた我慢を吐き出せたから。
ママを苦しめていたのは詰まってしまったおっぱいだけでなく、我慢して凝り固まってしまった心だったんだよね。
おっぱいと食べ物の不思議な関係
ママが食べたものでおっぱいが張ったり、母乳の味や質が変わることはないと言われています。
でも、こうしてママたちのおっぱいを見てきたわたしは、やっぱり関係はあるんじゃないかなって感じています。
よく言われている動物性の脂肪を含んでいるケーキとかチョコレートは、おっぱいに悪さをしてしまうことが多いの。
でもね「あれもダメ!これもダメ!」じゃ、ママもストレスが溜まっちゃうでしょ。
そんなときは、ママに逃げ道を提案しています。
「ママ、これだけ育児を頑張っているんだもの。疲れたときに甘いものが欲しくなるでしょ?そんなときは、あんことかフルーツとかを食べてみたらどう?」って。
逃げ道を作ってあげることって、とっても大事。
逃げ道があるだけで、それだけで気持ちが楽になるものね。
ママ、心が苦しくなってしまったときに逃げ込める場所、人を作ってください。
お友達がいないのなら、助産師でも、保健師さんでもいいから相談して。心の奥に沈んでいる気持ちを吐き出せたら、それだけで楽になるからね。
佐藤みつ
さとう みつ
1979年 神奈川県立衛生看護専門学校助産師科卒業。大学病院・個人病院での勤務、自治体の新生児訪問などを経て、「ママが気軽に立ち寄れる場所を作ってあげたい」という気持ちから、1993年に助産院「マタニティハウスSATO」を開業。分娩やおっぱいマッサージ、ベビーマッサージなどを行っています。「昔、取り上げた子がママになって、その子がお産をしに来てくれるなんて幸せでしょ?」
佐藤みつ
さとう・みつ