2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、2歳の息子と妻をもつ35歳の一人の写真家による、妻へのラブレターである。
ケロっと仕事を辞めてくれた妻
幼稚園教諭だった妻が育児休業を取っているときにぼくの病気が判明した。
本来であれば職場復帰することが望ましいのだけど、息子の育児だけでなく夫の看病という、さきの見えない状態で復帰は不可能だったため退職をした。
幼稚園業界にありがちな長時間勤務と自宅への持ち帰る仕事の多さ、そのうえあまり人間関係が良い状態でもなかったので、妻はケロっと躊躇なく、ぼくに心理的な負担をかけることもなく仕事を辞めてくれた。
仕事に人生を捧げることも若くて健康ならいいのかもしれない。
ただ仕事に人生を捧げた人が病気になって離職したとき、孤独感と後悔を味わっている人をぼくはたくさん知っている。
それを一緒に見てきた妻は、妻なりに生きる意味と仕事の意味を考えて、仕事に人生の全てを捧げるのは間違いであると答えを出したようだ。
そんな妻が今月から近所の保育園で働きはじめた。
育児と家事を両立させるために週4日の一日6時間勤務のパート職員だ、これくらいがちょうどいい。
短い時間だけど、保育士の資格がある妻が1歳児の子どもの6人をみることができれば、12人の親が社会で働くことができる。
3歳児や4歳児になれば保育士が一人でみれる人数は数十人になり、だいたいその倍の親が働くことができるのだ。
たくさんの大人が働いて収入をえて、納税をする。
保育士の労働環境もあまり良くないため人手不足だけど、社会には絶対に必要な仕事だ。
親にとっては育児のパートナーであり、子どもにとっては親以外から愛情を注いでくれる存在だ。
幼児教育の現場で10年間幼稚園教諭を経験し、自分の息子を育て、夫が死にかけの妻が保育園でいったいどんな仕事をしているのとても興味がある。
君がしあわせな人生を歩むことで
はじめての職場ってドキドキするし、不安だったりするし、すこし居心地もわるかったりするよね。
大丈夫だろうかとすこし心配していたけど、足が筋肉痛になったことを君が笑いながら話しているのをみてホッと安心しました。
さいきんぼくが忙しくなったことで家事を君に押し付けていたけど、今日からはぼくも家事をがんばります。
今朝はひさしぶりにホットケーキを焼いて、ちいさなロウソクをたてて、ちいさいお祝いをしようとしようとしたけど、優くんは自分のお祝いだと勘違いしていたね。
人生ってのは本当にどうなるかわからないものです、ぼくとしては正直なところ幼稚園を辞めてくれて安心しています。
病気が与えてくれたいいタイミングだとすら感じています。
妊娠中に職場の人間関係で悩んで、涙を流しながら職場に行きたくないといっていた君の姿をいまでもたまに思い出します。
あのときは流産をしたらどうしようととても不安でした。流産していたら優くんは存在しないわけで、きっとぼくたちの人生が大きく違っていたとおもいます。
いま冷静に振り返ると、君が妊娠したことで妬まれてしまったのだけど、自分が嫌われようと、なに一つメリットがなくとも、労力をかけて他人が幸せになることの足をひっぱる人はいます。
そういう人がドラマの世界ではなく、隣人にいるかもしれないということに君が気づけてよかったです。
もしも流産していて、優くんが存在せずぼくたちの人生が変わろうと、そういう人はよろこぶだけです。
人生はどうなるかわからないけど、妬む人に人生を左右される必要はありません。
これから君の長い人生でいろんな人と出会うと思うけど、妬みや悪意がある人とはすぐに距離をとってください。
幼稚園にいたときは泣くほど悩んでいたけど、職場を辞めたら一切会わないから、泣くこともないじゃないですか。
距離をとるって最強で最高ですよ、優くんが人間関係に悩んでいたら教えてあげてね。
君が人生を楽しむことで、優くんは人生が楽しいものだと気づけます。
君がしあわせな人生を歩むことで、優くんのしあわせにつながります。
しあわせな人は他人を妬むということをしません。
だから、しあわせになってください。
また書きます。
幡野広志
はたの・ひろし
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi