幡野広志さん「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」インタビュー

2018年2月より、連載「僕は癌になった。妻と子へのラブレター」を執筆いただいている幡野広志さんが、初の著書を世に送り出した。

本のタイトルは「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」。本の中には幡野さんの優しさが溢れていて、息子の優君だけでなく、多くの大人にとっても生きるための道しるべになりうる言葉が散りばめられている。

本の中に難しいことは一切書かれていないから、本を読めば、幡野さんの想いはとてもよく伝わってくる。だけどそれでも、読んだあと、僕の中に少しだけ残ったいくつかの疑問を、幡野さんにぶつけさせてもらった。

幡野さんは、まだまだ本を書く

幡野広志 ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

久しぶりにお会いする幡野さんは、「先生」と呼ばれていた。幡野さんの後ろには大名行列のように出版社の方々が連なり、マネージャーさんもついている。昨年12月にお会いしたときは、病院のロビーで、一人車椅子に乗ってポツンとしていたのに。

「出版社の人にとっては著者を『先生』と呼んだ方が楽なんですって。そう呼んでおけば、間違いないから」

そう言って少しいたずらっぽく笑う幡野さんは、やはり前と同じように、物腰の柔らかい幡野さんだった。もちろん、幡野さんが毎日大名行列を引き連れているわけなんてなくて、この日が著書の出版記念トークショーが開催される日だったから。マネージャーさんがついているのは、おそらく一生癌と付き合う幡野さんが、よりやるべきこと・やりたいことに集中するためだ。

4年ほど前に僕が初めてお会いしたときに「写真家・猟師」だった幡野さんは、2017年末に「写真家・余命宣告を受けた癌患者」になり、今は著者という肩書も加わった。

著書は3刷目の重版が印刷中でかなり話題を呼んでいるようだし、今後も数冊本を出す予定があるという。多発性骨髄腫という血液の癌で余命3年と告げられたことをブログで告白して以降、幡野さんは活動の幅をどんどん拡げている。

この本は、開かなくてもいいんだよ

連載 コピーライト 幡野広志
幡野さん初の著書のタイトルは「僕が子どものころ、ほしかった親になる。」。

連載で書いていただいている通り、幡野さんには奥様と、優君という2歳になる息子さんがいる。以前幡野さんは「僕は息子が大人になるまで生きられないので、その代わりに僕の痕跡をいろんな形で残したいんですよね」と話していたから、この本は息子の優君に向けて書かれているんだろう、と思った。だが、幡野さんの答えは意外なものだった。

「僕が子どもの頃から今に至るまで考え続けてきたことを書き記しただけなんです。僕が親になってから考えついたことって、ほとんど何もないんですよね」

本の中で繰り返し書かれているのは、幡野さんがどんな大人になろうとしてきたのか、ということだ。それは、例えばカメラマンになろうとか、お金を稼ごうとかといった些細なことではなく、「どう生きるか」というもっと根源的な問いに対しての答え探し。

幡野さんの言葉通り、この本の中に優君への直接的なメッセージはほとんどない。そして子どもが理解するのは少し時間がかかるかもしれない内容もある。でも、優君がこれから数十年、もしかすると100年以上生きていくための道しるべには、絶対になってくれるだろうなと思う。父親が35年の時間をかけて紡いできた言葉を、これほど丁寧に知ることができる優君は幸せだなあと思う。

今2歳の優君は、いつこの本を手に取って読むだろうか。

「実は、息子が読んでくれなくてもいいかなと思ってるんです。何歳くらいで読んで欲しいとか、そんなことも全くイメージしていないですね」

本の最後には「だから、この本は、ひらかなくてもいいんだよ」という一文がある。その配慮も、幡野さんの優しさなのだと思う。

本のすべてが100%優君に向けた内容であったなら、優君の負担になってしまうかもしれない、と幡野さんは考えたのかもしれない。確かに、反抗期を迎えた優君が、その時目の前にいないかもしれないけれど存在としては大きくなりすぎた父を疎ましく思う可能性があることは、容易に想像がつく。

幡野さんの優しさの根源

連載 コピーライト 幡野広志
本の中には、優しさが溢れている。ただし幡野さんの優しさとは、目先の優しさではない。だから優君が本を読んだ直後は、父親のことを「冷たい人だ」と思うことも、もしかするとあるかもしれない。幡野さんの言葉は、とても優しいけれど、とても強く、日本刀のような鋭さも持ち合わせている。

僕には、幡野さんの強さと鋭さがどこから来るものなのかがわからなかったので、率直に聞いてみた。

「僕が子どもの頃から大人に期待しないで育った、ということが影響しているのかもしれません」

幼少期の記憶で一番強く残っているのは、3歳から通った保育園での辛い思い。虐待と呼べるほどの暴力。その辛さを親に訴えても、まともに取り合ってくれなかったという不信感が、小学校に上がる前からあったという。

「圧倒的に弱い存在である子どもに対して力で支配し、コントロールしようとする大人、それを助けてくれない大人を、反面教師にして育ったんだと思います」

その後、小学生、中学生、高校生になっても、写真の世界に足を踏み入れても、周りにはそういう大人ばかりだった。幡野さんが心の底から信用できる大人と初めて会ったのは、27歳のとき、写真家の高崎勉氏に師事したとき。

「いい人と出会えたら、いい方向に持っていけるってことが、その時初めてわかったんです」

幡野さんは周りの大人に期待するのを、かなり早い段階で一度諦めた。でもその諦めを乗り越えて優しくあろうとしているから、強いのだ。

「自分より弱い存在に対してどう接するかで、自分のことを知らざるを得なくなりますよね。それは親になってから一層強く感じます。でも僕は親になってから考えを変えたことは何もないんです。『親になる』ってどういうことなんだろうってふと考えるんですけど、今までどう生きてきたかが、子どもがリトマス試験紙になったかのように見せつけられるだけですよね。親になったとたんに聖人君子になれるわけはないし」

父のことはよく知らない

5幡野広志 ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。

幡野さんは写真家だけど、この本に幡野さんの写真は1点しか収められていない。「なぜこの写真を選んだかは、読者の皆さんや息子に考えてみて欲しい」とのこと。

幡野さんは、18歳のときにお父さんを癌で亡くしている。それゆえに「父親のことはよくわからない」という。

「親としてものすごく尊敬できる、という記憶もないんだけど、嫌いではなかったと思います。父親は雪山に登って写真を撮る趣味があったので、家に登山道具と撮影機材があったんです。僕はそれを遊び道具にしていて、その影響があって僕は狩猟と写真を撮るようになったんじゃないかと思います。もし父親のことが嫌いだったら、きっと真似しなかったと思うので」

ただ、悩み事を相談したり、お酒を飲みながら父親自身の話を聞いたりという機会には恵まれなかった。

「僕は父親のことがよくわからないんです。そのせいもあるかもしれないけれど、息子にとって、父親の言葉は残っていた方がいいのかなと思います。僕がいなくなったあと、息子が僕の人柄を少しでも知ることができたらいいなあ、と」

僕の父親はいまも健在だが、どれほど自分の父親のことを知っているかというと、おそらく幡野さんと大差ないのではないか、と思う。それは父親だけでなく、母親や他の肉親についても同じだ。一緒にいる時間の長さと、その人のことを深く知ることは、必ずしも比例しない。

だとすると、今のところ幡野さんより長く生きる可能性が高い僕が我が子に伝えられることと、幡野さんが優君に伝えられることは、どちらが多いのか?と思う。息子2人が成人するまでまだ長くの時間があるとはいえ、僕が幡野さんより自分のことを多く伝えられるという自信はない。そして、幡野さんより深い経験や思考に基づいた言葉を伝えられるという自信も、ない。

僕は幡野さんの本を、将来2人の息子に贈ろうと思う。幡野さんは僕の息子2人の父親ではもちろんないけれど、息子2人がたくましく生きていくために必要な言葉が、この本には詰まっているから。そのためにもう1冊、買い足しておかなければいけないな、と思った。


ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。
出版社: PHP研究所
1400円+税


【幡野広志 連載第10回】35歳、僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

【幡野広志 連載第10回】35歳、僕は癌になった。妻と子へのラブレター。


【幡野広志 連載第9回】35歳、僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

【幡野広志 連載第9回】35歳、僕は癌になった。妻と子へのラブレター。



坂上 洋一

坂上 洋一

さかがみ よういち

1979年生まれ。
出版社ネコ・パブリッシングで10年以上雑誌づくり→今はウェブメディア「ninaru-baby.net」やアプリ「ninaru baby」「パパninaru」などを担当。
妻と4歳&1歳の息子との4人暮らし。最近なぜか会社で「お父さん」と呼ばれてます。
https://eversense.co.jp/member/sakagami-yoichi