友人や家族に何気なく言われた言葉が、ずっと心に残っているという経験がある方もいるのではないでしょうか。
同じように、親の発した何気ない一言が子どもの心に深く残ることも。
今回ご紹介するエッセイの作者である嘉島さんは、幼少期に耳にした母の言葉に、ずっと縛られていたことに気づきました。
そこから、自分の発する言葉に心するだけではなく、かつて自分に言葉を残した親に対しても、思うことがあったそうです。
唯一覚えている、母が遺した言葉
「10年後のクリスマス、お姉ちゃんは1人で読書をしてて、唯ちゃんは彼氏とディズニーランドに行ってそうね」
家族で車に乗っているとき、助手席に座る母は笑いながら父にこう言った。
それに対して特別な感情が芽生えたわけではない。
左手に見えるシンデレラ城を眺めながら「私は社交的で姉は暗いってことを茶化してるんだな」と思っていた。
私が7歳の夏から母は病床に伏してしまったので、おそらくこれは6歳くらいの話。
この些細なやりとりが、唯一覚えている母の言葉だ。
母は、他にもっと美しい言葉を遺してくれたはずだけれど、忘れてしまった…。
母が他界してからまもなく20年が経つ。
記憶の中に留めておきたかったけれど、消えてしまったことはたくさんある。
シーンを思い出すことはあるけれど、言葉までは遺ってくれなかった。
とはいえ、遺るならもうちょっとエモーショナルな言葉がよかった。
しかも、フタを開けてみれば姉はリア充、私は物書きになっている。
お母さん、ごめんなさい。でも、逆だよ…。
子どもは、親の言葉を理解している
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、もしかすると私が恋愛下手なのは、母の言葉を強く意識してしまったからかもしれない。
「子どもって、大人同士の会話を理解していたりする」
年上の友人がふと話した。
私の記憶もそうだが、親が「まさか聞いていないだろう」という話を子どもは耳にしている。
「ママ同士で会話しているときに『ウチの子はダメだから』と言いすぎると、その子はどんどん……まるでお母さんの期待に応えるかのように、元気がなくなっていくんだよね」
と友人は続けた。
子どもが褒められたときに、謙遜した親の言葉によって、当人が「ああ、自分は鈍臭い人間でダメなんだ」と受け取る可能性があるというのだ。
まさか聞いているとは思わない些細な言葉が、子どもの心に根をはる。
そしてそれは時間をかけてじんわりと広がっていく。
言霊は亡霊のようだ。
軽い気持ちで言った「子どもが生まれてから自由がなくなっちゃって」という発言が子どもの耳に入ったらどうだろう。
幼い日に、親から聞いたその言葉に傷つき「自分は愛されない存在なんだ」とこじらせているアラサーの友人もいるくらいだ。
心しておきたいこと、大人になって思うこと
でも、そんな「まさか」の事態を批判したいわけではない。私は自虐ネタに走りがちなので、心しておきたいのだ。
ネタのつもりが人を傷つけることもある。
謙遜のつもりが自尊心を傷つけることもある。
親が子どものコンプレックスに影響を与えることは多い。
同時に、自分が大人と呼ばれる年齢になって
「親も人間だから自虐ネタも言うし、冗談も言う。あの時の言葉に縛られるのもやめよう」
とも思えるようになった。
一足先に子どもを授かった友人からは、慣れない「親」という役割の重さも聞く。
弱音を吐きたくなる日もきっとある。
幼かったあの日、親も人間だということはわからなかった。
言霊をそろそろ成仏させても恨まれないだろう。三つ子の魂は三十くらいにしておきたいものだ。
記事提供:嘉島 唯
ポッケ編集部PICKUP育児エッセイ
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