PICKUP育児エッセイ

言葉を「伝えない時間」も大切なんだ|PICKUP育児エッセイ#8

話し言葉を滑らかに出せず、言葉に詰まったり、同じ音を繰り返したりといった症状がでる吃音症。自分の子どもが吃音症だと分かった時、ママ・パパはどのように対応すればよいのでしょうか。

今回お届けするのは、吃音症の息子さんをもつママのエッセイ。

息子さんとの接し方に悩みたどり着いた答えは「もっとゆっくり!」や「落ち着いて!」と言葉をかけることではなく、ただひたすら「待つ」ことでした。

言葉は、必要じゃないこともある

吃音エッセイ
家族の中で「言葉にして伝えなくてもわかってくれるはず」という甘えは存在する。「わかってほしい」という気持ちもある。

でも親となったからには、子供に対しては、そんな幻想はないと、私自身を戒めている。

他の人にこの考え方を押し付けたくはないけど、言いたいことが子供に伝わっていない時、親から直接伝えたらいいのになあと思う。

背中を見せるのも必要だけど、子供は欲している。言葉を与えるのは甘やかしではない。

だけど、そうじゃない。

言葉は必要ではないことだってある。

言葉が出ない息子を、ただ「待つ」こと

ジャニーズ 手

息子は元々、吃音があった。

言葉が出始めた頃から症状があって、幼稚園の年中くらいの頃に一番ひどかった。

話始めの「な」という音が出ずに「んーー!!」と、アゴを自分で押さえて「うまく話せない!」と苦しんでいた。

「なんな、んな、んな、んな、んな」と繰り返すこともあった。

「うまく話せなくたっていいんだよ」と言う私の言葉も良くなかったんだと、ネットなどで調べては自分を責めた。

繰り返し詰まったり同じ音を繰り返しては苦しがって泣くその様子を見て、抱きしめる時もあったり、私もトイレに駆け込んで泣く時もあったり。

幼稚園の先生が「お母さんとして気にしていると思うけど、辛いでしょう?」と電話をかけて下さったことは、今でも恩に思っている。

その後、よく相談したし、さらに本も読みあさった。『英国王のスピーチ』も観た。

心を動かされはしても、自分の子供をどうしたら良いのかわからなかった。

それより、吃音のあった子のインタビュー記事の内容に、納得できた。

「直そうとするより、自分をそのまま受け入れた。」と言う。

そこに、子供をそのまま愛しましょうとの解釈を見出した。

幼稚園の先生も「○○君(息子)は、話し出すとその内容が独特で本当に面白いんです。その中身に注目しましょうよ!」と言ってくださった。

息子は元々すごくよく喋る子で、起きた瞬間から話し始めて寝入る直前まで喋っていたようなタイプ。

夫と秘かに「さんまちゃん」と呼んでいたものだった。

息子には言いたいことが溢れている。

それを、待ち受けている雰囲気を出さずに「ただ待つ」。

そういったやり方が良いらしいとわかった時「それが対策?」と疑問に思ったが、この「ただ待つ」がけっこう難しいと気が付いた。

のんびり待ってくれる環境で、息子の吃音はいつしかなくなっていた

吃音エッセイ

子育てしているうえで元々大切にしていた「待つ」ということ。

それがとても大事だとの思いは、このころからいっそう私の中で強くなった。

でも小学校の途中からの先生は、「もっとゆっくり!」とか「慌てないで!」とかいちいち言ったそうで、その先生の頃、息子の吃音はまた一時ひどくなった。

先生がそうやって気にかけ過ぎたため、他の生徒からもマネされたりして、息子はイヤな思いをしたらしい。

それでも中学生になってから、先生方が皆のんびり構えて待っていてくださった。

そのおかげか、はたまた年齢のせいもあるのか、息子はいつの間にか吃音がなくなった。

時々詰まりもするけど、多分他の人にもある言葉の詰まりとかその程度だ。

「最近、どもっている(当事者たちはお互いに平気で「どもる」と言うのです。人に使うと失礼な言葉なのだと話すようにしています)ことで悩んでいる友達に相談されたから、僕もどもっていたんだよって話すんだ。どもっても良いんだよって言うんだ」と話してくれたこともある。

その友達である彼が、私と話す時に黙っていたのが気になった時「緊張していたのかなあ」と私が後で息子に言うと「○○(友達の名前)は、どもりがあるから、最初の言葉にすごく詰まることがあるんだよ」と教えてくれた。

息子に過去、吃音があったことを誇らしくさえ思った瞬間だった。 

穏やかに、冷静に、私に伝えてくれたことが息子の心の成長を感じさせた。

言葉を「伝えない時間」だって大切なんだ

吃音エッセイ

そんな息子の吃音で、母親である自分を苦しめていた頃、そして吃音だけじゃない育てにくさで苦しんでいた頃、カウンセラーになろうかと一時期、熱心に勉強をしていたことがあった。

その頃に出会った数々の言葉にとても救われた。

それは例えば、「言葉で伝えるばかりがすべてではない」という言葉。

言葉は常にあふれ出ている状態でなくて良い。

好きな人と一緒にいる時、言葉がなくても静かに同じ時間を共有しているだけでも、お互い満足していることもある。

あるいは、話したいけど言葉が何も思い浮かばない時。

何とか間を埋めなくちゃと焦らなくても、相手が考えている時間でもあるから「待つ時間」も大切。

ああそうか。

息子の話の中身が聞けるのを待つように、誰とでも、相手が話し出すのをただ待つ。

そんな時間が大切なのだ。と気づかされた。

時に言葉にならない言葉もある。発する言葉がすべてではない。

それは、次々と話題が思い浮かばず、話題を広げるのがそれほどうまくない私にとっても、とても気がラクになる考え方だった。

言葉は、伝えなくてはいけない瞬間がある。

でも仲間同士、言わなくて良いこともある。言わない方が良いこと。言わない方がむしろ伝わること。言わなくて良い時間もある。

言葉にならない言葉が雄弁に語ってくれることもある。

相性や、その時の雰囲気やお互いの空気感もあるだろう。

今は人との関係を築く上で、言葉を伝えることも、伝えない時間も、すべてが大切と思えています。

記事提供:かわせみ かせみ


かわせみ かせみ

かわせみ かせみ

作者


40代主婦。高校生の息子がいます。幼少期、息子の激しいかんしゃくや発達において不安がありましたが、今ではどこにでもいるフツーの高校生に。でも子育てにはいつまで経っても心配と不安があるものですね。noteにて日常、頭の中にあることなどを書き綴っています(親子関係も。無料マガジンにて)

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