不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記「うんでも、うまずとも。」

【連載第43回 うんでも、うまずとも。】子どもを産むことを諦める


妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな44歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載43回、ついに、ひとつの結論。

本当に最後の不妊治療

吉田けい うんでも、うまずとも。

仕事からもバンドからも子づくりからも距離をおき
アメリカでひとり、音楽にどっぷりと浸かる生活を送ったことで
わたしの人生には、「親になる」以外にも
やりたいことやなりたいものがあることに改めて気づいた。

それでもやっぱり、わたしは最後に1度だけ、不妊治療をやることにした。

自分で産みたいという気持ちを捨てきれないというよりも
自分の体が本当に産めないのかどうか、最終確認するような気持ちだった。

帰国した9月は、流産手術からちょうど3ヶ月。
ようやく不妊治療が再開できるタイミングだ。

2019年9月13日、約9ヶ月ぶりに採卵を受けた。

採卵できたのは、1個。
しかし、受精したものの、その後は成長が止まってしまった。

翌月10月13日も採卵を受けた。

しかし、卵胞の中は空っぽだった。

いままでは採卵の段階で、
こんな風に続けてうまくいかないことはなかった。

さらに11月、受精し、順調に成長していたはずが、
凍結直前で止まってしまった。

あれ、なんだか、わたしの体、昨年までと様子が違う。

さすがに、そう気づいた。

あまつさえ12月、2個採卵できたが、どちらも受精しなかった。

そして2020年1月、
ようやく1個だけ無事に胚盤胞まで成長し、凍結することができた。

……5回目にして、やっとだ。

やっぱり、わたしは産めない。

それからダメ押しの2月、2個採卵し、受精したが、途中で成長が止まった。

そうして最後の悪あがきの3月、1個採卵できたが、正常な受精が見られなかった。

いよいよ、もう無理なのだ、と諦めがついた。

わたしに1個だけ残された胚盤胞を、万全な体調で移植しよう。
そう思うほかなかった。

4月はコロナウイルスが心配だったので見送り、
5月26日に移植を受けた。

移植された胚盤胞の評価はE。
妊娠率は10〜19%、
……とっても低い。

でも、もしかしたら、ということもある。
移植後は、いままで以上に、のんびりと心安らかに過ごした。

そして1週間後の判定日。
β-HCGはゼロ。
妊娠していなかった。

うん。
そうか。

診察室で、先生に「今後はどうされますか?」ときかれ、
「今回が最後でした。いままでありがとうございました」と答えた。

その瞬間、鼻がツーンと痺れて、涙がこぼれそうになった
……が、なんとか堪えた。

再診料と判定のための血液検査費用、併せて7000円を支払い、
夫に電話をして、結果を報告。

そこで、ダムが決壊したように涙がドドドッと流れた。

「がんばったね」
「うん、がんばった」
「おつかれさま」
「おつかれさま」

「産めない」のは悲しい。
とてつもなく悔しい。

でも、「産めるかもしれない」と信じて、がんばって、がんばって、
それでも、どうしたってダメで……。
「産めない」と確信することで
もうこれからは、希望をつかもうと必死に手を伸ばさなくていいんだ、と
すこし気持ちがラクになった自分もいる。

気づけば、わたしは44歳になっていた。

34歳、結婚を目前にして流産してしまってから、
妊娠と流産を繰り返し、苦しみながら40歳で不妊治療を始めて……
そうこうしているうちに、10年もの月日が過ぎていたのだ。

続きは第44回にて。

写真のこと:仕事のため訪れた東京都北区で、かねてより訪れたいと思っていた岩淵水門と初遭遇。宇宙ステーションのようにも見える珍妙な大型建造物の足元に、多くの人が行き交うのどかな日常があって、その温度差が実におもろい。


【連載第42回 うんでも、うまずとも。】流産後に心も体もリセットする

【連載第42回 うんでも、うまずとも。】流産後に心も体もリセットする


【連載第41回 うんでも、うまずとも。】産声を聴きながら流産手術

【連載第41回 うんでも、うまずとも。】産声を聴きながら流産手術



吉田けい

吉田けい

よしだ けい


1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。