僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

成長の背中を押すこと|幡野広志「ラブレター」第28回


2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、3歳の息子と妻をもつ37歳の一人の写真家による、妻へのラブレター。

三ツ矢サイダーを飲もうとする勇気

コピーライト 幡野広志

うちでは息子が嫌いな食べものを無理やり食べさせることはない。好きなものを中心に食べさせるということをしている。
自分からすすんで食べてくれて楽だし、だいたい大人だってそういう食事をしているものだ。大人も子どもも回転寿司にいけばだいたい毎回おなじネタに手をのばしているものだ。

ぼくは嫌いなものを無理やり食べさせられても、それが好きになったという経験はなく、むしろ吐いてしまって余計に嫌いになった経験がある。食べものの好き嫌いがないってなんだかいいことのようにいわれるけど、好きも嫌いもあるのが個性だとおもう。

ネコだって好き嫌いがある、そういうものだ。彼らはどんだけチュールが好きなんだ。
無理やり食べさせるのではなくて、興味を持って自ら食べたいとおもうことが大切だ。ネコではなく息子の話にもどるけど、あるとき妻が三ツ矢サイダーを飲んでいた。

息子がその様子をジーっとみていた。息子からすれば透明の水だとおもっていたのに、ペットボトルのキャップをあけたときにプシュっと鳴ったことや、ちいさい気泡がシュワシュワとのぼることが不思議だったのかもしれない。

おまけにひさびさにサイダーを飲んだであろう妻が「あ゛ぁぁーーー」とかいってる。動物園で遠くから聞こえてきた何かの声のようだ。

大人は味を中心に興味をもちがちだけど、子どもは色や形や音など全体に興味を感じる。そして大人への憧れや背伸びが興味を後押ししてくれて、未体験を挑戦する勇気になる。

「ちょっとだけ飲んでみる?」と妻が息子に声をかける。息子は炭酸を飲んだことがない。
大人からすればただの炭酸飲料かもしれないけど、これを大人に置き換えればはじめてビールを飲むときとにている。最初は苦くてマズい、ビールだって興味や憧れや背伸びで飲むのだ。

外国人観光客が日本食に興味をもってワサビや梅干しに挑戦したときに「ウーーン、スッパイデスネ」っていって周囲が微笑むのにもにている。「スッパイデスネ」なんて日本語知ってるならワサビや梅干しぐらい知ってるだろお前。

三ツ矢サイダーが息子の挑戦であって、ぼくや妻は息子のちいさい成長を見届けることができる。
きっと炭酸のシュワシュワに驚いたり苦そうな顔をするのだろう、それをみて妻やぼくは笑うのだ。とてもほのぼのとした光景だ、世界のどこかで戦争がおきていることを忘れてしまいそうだ。

動画を撮りたい気持ちがあるけど、息子に何か起きるのかもという緊張を与えてしまいそうだし、なによりもこの瞬間をスマホの画面越しじゃなくて肉眼でみたい。

息子が三ツ矢サイダーを手にしたときだ、妻の義母が息子にむかって「歯が溶けるわよ!!」と大きな声でいった。クソババア死ねよ。

息子はサイダーを飲まずに妻に返した。歯が溶けるなんていわれりゃそうだろう。ぼくだってサイダーじゃなくてシンナーを渡されても吸うことはない。

ぼくは義母が嫌いだ。嫌いというか大嫌いだ。
科学的な根拠もなくウソや恐怖心を利用して足を引っ張る、最低だ。

孫の足を引っ張る祖母と、息子の背中を押す父親との戦争になりそうだ。
足を引っ張られているのに、背中を押されれば子どもが混乱するだけなので、ほんとうに義母はやめてほしい。クソババア死ねよ。

豚になるか、イノシシになるか

コピーライト 幡野広志
『千と千尋の神隠し』をみていて気づいたけど、きみのお母さんって湯婆婆によくにています。湯婆婆のような高圧さや傲慢さはないけど、湯婆婆の坊にたいする態度がとてもにています。

坊には外の世界は危険がいっぱいで、病気がたくさんあるって信じ込ませて、坊が自分から離れていかないように、手の届く部屋においておくのだ。子どもの可愛さに酔って、子どものままでいてほしいから、成長をさせないのだ。

豚って野生化するとイノシシになって、イノシシを家畜化すると豚になるんだそうです。ちいさい子どもの頃は子豚ちゃんで可愛いけど、養豚場でおおきな豚になってトンカツか生姜焼きになるよりも、野で自活して生きるイノシシのほうがいいとおもうんです。

きみがお義母さん(湯婆婆)とお義兄さん(坊)の養豚場のような関係をみて「ああはなりたくない」っていってるからぼくは大丈夫だとはおもうけど、お義母さんがこれから優くんの背中を押すように変わるとはおもえません、お義母さんに変化を期待しないほうがいいです。

サイダーの挑戦すらさせない人なんだから、これからも優くんの成長と挑戦の足を引っ張るとおもいます。スポーツでも芸術でも何かに挑戦しようとしたときに「優くんには無理よ」っていっちゃうだろうね。

きみには無理だよって言葉をかけて、失敗をしたときに「だから無理でしょ」って怒ったりバカにすれば、挑戦できない人間の出来上がりです。成長を止めるのって簡単なんだよ。

きみにはできるよって言葉と失敗を許容することで、子どもはどんどん成長していきます。

すこしおおきくなった優くんがお義母さんに足を引っ張られていたら、ぼくがお義母さんのことが嫌いだったと教えてあげてほしい。もしかしたらそれで足かせが切れるかもしれません。

子どもの成長に必要なのは大人が見守ることと、できるように教えることだとおもいます。忍耐力が必要だし、正しい知識も必要です。だから成長の背中を押すのって、成長の足を引っ張るよりも大変で難しいんだよ。

きみはお義母さんよりも大変で難しい子育てをしている自覚を持って、それをプライドにしてください。きみは優くんの背中を押すことができるよ。

また書きます。

コピーライト 幡野広志



優くんはどんな成長をするのだろう|幡野広志「ラブレター」第27回

優くんはどんな成長をするのだろう|幡野広志「ラブレター」第27回


3人で、いただきますをしよう|幡野広志 連載「ラブレター」第1回

3人で、いただきますをしよう|幡野広志 連載「ラブレター」第1回



幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi