もしあなたが今、余命3年と宣告されたら。残された時間の中で、何を思い、何を考え、どんな行動を起こしたいと思うだろうか。それがもし、愛する伴侶と、子どもを残して死を迎えることがわかったとしたらー?
余命3年の末期癌と宣告された写真家、幡野広志さん。この連載は、2歳の息子と妻をもつ35歳の一人の写真家による妻へのラブレターである。
“おとーさん、おとーさん。”
この原稿は軽井沢駅のホームで書いている。時計のハリは18時をさしていて、あと5分ほどで東京行きの新幹線が到着する。
予定ではこんや軽井沢の温泉宿に泊まって、温泉に入ったり美味しいお酒でものみつつ、すこしゆっくりしてから翌日帰宅するつもりでいた。
なぜ予定を変えて東京行きのホームにいるのかというと、いまから急いで帰れば息子が寝るまえに帰宅できそうだからだ。
昨夜も帰宅が遅かったぼくは今朝、妻からこんな話を聞かされた。
“おとーさん、おとーさん。”
保育園から帰ってきた息子が、家のなかでぼくを探していたそうだ。夕方に時間指定した宅配便が届いたときも、ぼくが帰宅したとおもった息子が玄関に走った。“おとーさん、おとーさん。”とお父さんがいないすこし広いベットでさみしそうに眠りについたそうだ。
息子はさいきんよくしゃべるようになった。妻のことはママと呼び、ぼくのことはおとーさんと呼ぶ。
うちでは夫婦間のことをパパママではなく、お父さんお母さんでとおしているのだけど、息子の周辺環境では圧倒的にママという言葉が多いのだろう。家庭では一度も使ったことがないママという言葉を息子が自然に使うので、こうやって親以外から学ぶのだなぁと感心をしている。
親が教えられることなんて子どもの人生にとってほんの一部だ。どんどん親以外からいろんなことを学んでほしい。
ぼくは文章を書くのがとてもおそい、もう大宮に到着した。今夜は息子に会えるだろうか。
玄関をあけたときの嬉しそうな顔が
いま新幹線のなかでパソコンをひらいてコレを書いています。原稿と呼ぶべきなのか、手紙と呼ぶべきなのかわからないので、コレです。
軽井沢で一泊するか、新幹線で帰ってくるか悩んでいましたが、帰宅を選びました。悩んでいたなんて書いたけど、1時間前は完全に宿泊するつもりでした。食べログで美味しそうなお店をチェックして、軽井沢駅から宿までのルート上のお酒を取り扱っているコンビニまでチェック済みでした。
“息子のために”という自己犠牲のようなものでも、子煩悩パパみたいな理由で帰宅を選んだわけでもありません。
食べログでチェックした美味しそうなお店がやっていなくて、宿も駅からちょっと遠くて、タクシーもいなかったので、なんとなく急に面倒になっただけです。子どもに会いたいというよりも、12月平日夜の軽井沢のホスピタリティに心が折れたというのが正直なところです。
浮いたお酒代は優くんと君へのお土産とグリーン車両になりました。
東京駅に着きました、これから中央線に乗り換えて八王子に向かいます。優くんが起きているギリギリの時間に帰宅できそうです。でも電車が遅れたら間に合わないかも。中央線のなかでパソコンは使いにくいので、帰宅してからまたつづきを書こうかな。
いまリビングでコレを書いています。
寝室ではお父さんと遊べて嬉しかったのか、イビキをかいて優くんが寝ています。
遊んだといってもみじかい時間だし、眠る時間がすこしずれてしまったけど、玄関をあけたときの優くんの嬉しそうな顔がぼくもやっぱり嬉しくて、帰ってきてよかったとおもっています。
写真を撮ればよかったけど、優くんの笑顔をカメラの存在が水を差すような気がして、今夜はカメラをしまっていました。
軽井沢でチェックした美味しそうなお店。美味しそうなので、いつか一緒に行きましょう。
また書きます。
幡野広志
はたの・ひろし
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi