誰かに必要とされることは、喜びや充実感をもたらしてくれます。
しかし、そんな状況はなかなか訪れるものではありません。「私は必要とされてない」「代わりはどこにでもいる」と思ったことのある方もいるかもしれません。
今回ご紹介するのは、このエッセイの作者koalaさんが、育児を通して初めて「誰かに必要とされている」と感じた時のお話です。
この子にとって、私の代わりはいないんだ
里帰り先で育児をしているとき、私よりも母の方が当たり前に抱っこもあやし方も上手で、私はひそかに自信をなくした。
ふわっとした母の腕と違って、私の骨ばった腕では赤ちゃんは居心地悪そうに思えて、何度も抱き直した。
赤ちゃんが起きないようにと、そっとベットに置くのが難しかった。
いつも失敗するもんだから、寝かしつけは母に頼んでいた。
あるとき、赤ちゃんをいつものように母にあやしてもらっても、どうしても泣き止まない時があった。
母は「お母さんって呼んでるよ」と私に赤ちゃんを抱かせようとする。
まさかぁ、と私は立ち上がり、半笑いで抱っこしてみる。
ちっとも期待していなかった。母で泣き止まない赤ちゃんを、自分があやせるなんて思えない。
おそるおそる抱くと、赤ちゃんはぴたりと泣き止んだ。
あ、私必要とされてるんだ。
あんなになんでもできて、経験豊富な母よりもこの不器用で未熟な私がいいって、赤ちゃんは言ってくれているんだ。
こんなに必要とされたことは今までなかった。
学校でもサークルでも職場でも、私はそういう人になれなかった。
友達には私の他にも仲の良い友達がいるし、サークルの役割は一年経てば交代するし、仕事はマニュアルがあれば誰にでもできる。
私の代わりはどこにでもいて、凡人の私には「隣の誰か」でもできるようなことしかできない。
世の中のたいていのことがそうなのだと思う。
でも子どもは違った。
私でないとだめなのだ。
眠いとき、どこか痛いとき、安心したいとき。
そのときの抱っこはもう他の誰かではなく、私でないとだめ。
それは、とてもプレッシャーなことだって初めて気づいた。
私は今はじめて、誰かにこんなにも必要とされている。
記事提供:koala
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