妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載25回、7回目の胚盤胞移植で3個の採卵に成功するも…
ケンケン&ゼーゼーな採卵日
明けて2018年1月。体外受精がゼロスタートからとなり、養子縁組について両親に説明をして、心新たにどちらにも挑んでいく準備が整った。
まず訪れたのは体外受精、8回目の採卵日。
しかし、実はこの日、私の体調は最悪だった。
2017年の終わり頃、雑誌の仕事で、猫を飼っている家で撮影をする機会があり、その途中から喉の奥が痒くなって、咳が頻繁に込み上げるようになったのだ。
以前にも、友人の旅行中に猫を預かって、1日目に目や喉が痒くなり、2日目に咳が出て、3日目に蕁麻疹が出る、というようなことがあった。
でも、アレルギー検査はしていない。
だって、私は猫が大好きなのだもの!
“猫に触れてはいけない人”という烙印を押されたくないのだもの!!
そのあたりは、ふんわりさせておきたいのです。
しかし、咳がケンケンと出て、喉の奥がゼーゼーゼロゼロとなる状態が続いて、さすがの私も病院へ行った。
診断はアレルギー喘息。
吸入式のものも含め、いくつか薬を受け取ったものの、採卵前にそれらの薬を使うのは、はばかられた。
薬の副作用で、卵子がおかしなことになったら困る。
まったくもって素人的考えによる用心だが……。
というわけで、採卵日は咳をこらえながら喘息の薬を握りしめて西新宿Kクリニックに向かい、採卵が終わってから「待ってました」とばかりに薬を使った。
我慢に我慢を重ねていたせいか、吸い込んだ薬は、魔法のように効いた(気がした)。
史上最多の3個採卵
そんな状態だった割には、採卵の結果は上々。
立派な卵が3個も採れた。これは私の採卵史上最多だ。
しかも3個すべてが正常に受精した。
まぁ……でもそんなにうまくいかないよね。
そのうち2個は途中で成長が止まり、胚盤胞として凍結できたのは1個だけだった。
採卵したあとは、翌日に「受精確認」のためにクリニックに電話して、1週間後に「凍結確認」の電話をする。
電話で、1個だけしか凍結できなかったという報告を受けた頃には、もう喘息も落ち着いてきていた。
そして2月。
毎度の感染症検査をオールクリアで突破して、7回目の胚盤胞移植にのぞんだ。
胚盤胞の評価はC(妊娠率35〜44%)。うーむ、これまたなんとも微妙な数値。
それでも、毎度毎度「もしかしたら」と期待してしまう。「もしかしたら、数値は低くとも、うっかり妊娠するかも」と。
移植後は、妊娠判定日まで黄体ホルモンの分泌を促すデュファストンを服用する。このせいか、ずっと体が火照るようにあったかい。まるで妊娠してるみたいに。
なまじ妊娠を何度も経験しているせいか、体が火照った状態が続くと、「この感覚、あのときと似てる。もしかしたら妊娠したかもしれないな」と思わずにはいられないのだ。
判定日までの1週間は「もしかして」「もしかして」の連続で、最終的に「もしかして」が重なりまくって、期待度マックスの状態で判定を聞くことになる。
何度も絶望しているのに、バカだね……。
そして判定日。
着床しなかった。
また、崖から蹴落とされたような感覚。
心新たに体外受精にのぞんでも、卵が3個採れても、ぜんぜんまったくうまくいかない。
疲れた。休みたい。
私は夫に、「来月は採卵したくない」と伝えた。
続きは第26回にて。
写真のこと:四国出張のついでに訪れた直島。のんびりと昼寝をしている猫ちゃんを発見。近づいて添い寝したい気持ちを抑えつつ、少し離れたところから撮影。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。