妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載24回、お互いの両親に養子を迎えたいという気持ちを話す。
養子について両親に説明を
2017年から2018年へと変わる正月休みが終わるまでに、果たすべきミッションが私たち夫婦にはあった。
そろそろ不妊治療はストップして、養子縁組の準備を進めていこうと思っている。そのことを、それぞれの両親に説明することだ。
私は、ちょっぴり緊張していた。
何度も流産を繰り返す私を心配して、不妊治療を勧めてくれた母。私が母似の娘を産むことを今か今かと待っている父。
ふたりが養子縁組に対してどんな考えをもっているのか、想像がつかなかった。
もしも反対されたら、どう説得しよう……。
ぼんやりとネガティブな方向に想像が傾きそうになるのを立て直しながら、ひとりで帰省した折に、父と向かい合って日本酒を飲んだ。
「私らの子どものことやけど……」
今だ、と話を切り出した。
「養子を迎えようと思ってるんやけど、どう思う?」
父は、開口一番に「ええやん!」と言った。
母は、父に向かって「そんな軽く答えることちがうでしょ」と言った。
しかし父は、そのままノリノリで語ってくれた。
「この前、いつも見てるドラマで、養子として育った男性が出てきてん。産みの親と育ての親が争っててんけど、その男性が『どっちも自分にとっては本当の親だと思っている。自分には母親が2人いる』って言ってて、俺はいいなぁと思った」
うちの両親の趣味は、ふたりで韓国ドラマを見ること。どうやら、父が見たというのも韓国ドラマらしい。
さらに、「いつ? 養子いつくるん?」と聞く父に、落ち着け、すべてはこれからだ、と説明。
さらにさらに、「産みの親と暮らせないのはかわいそうやけど、お前たちの家族として幸せになったらええなぁ」と言うので、いや違う、養子は決して“かわいそう”ではないんだぞ、と説明した。
父は「そうか〜、でもいいと思う、養子」と言っていた。分かってるんだか、分かってないんだか。
あなたのことを思うと心配だ
「お母さんは、どう思う? 私が送った本は読んでくれた?」
事前に郵送しておいた養子関連の本は、リビングのピアノの上に置かれたまま、読まれていなかった。
2年ほど前からパーキンソン病を患っている母は、しんどいことが増えたと言う。読書も、しんどいことのひとつだった。
それに気づかず、説明をハショるために本を送りつけてごめんね、お母さん……。
養子縁組に関して、母は心配だと言った。
「不妊治療をがんばってるのも知ってるし、大変なのも知ってるし、養子を考えたい気持ちも分かる。でも、ほんまに大丈夫かなって、心配やなぁ」
決して万歳三唱で生まれたわけではない、その子の生まれた背景を受け入れ、心を強くもって「私はあなたの産みの親ではない」と真実告知を行い、何があっても子どもを守り抜く。
ときには偏見という壁にぶつかることもあるだろう。
母は、このままならしなくてもいい苦労を私が抱え込んでしまうんじゃないかと心配だと言うのだ。
そりゃ私も心配だし不安だ。
だって、一度も親になったことがないんだもの。
でも、私には自信があるんだと、母に言った。
神経質気味で心配性の母と、デリカシーのない父に育てられたけど、私は今、すごく幸せに生きている。仕事でもバンドでも、信頼できる仲間に囲まれて、大好きな夫と楽しく暮らしてる。父にも母にも感謝してる。生まれてきてよかったと思ってるよ、と言った。
「だから私は、私と同じく、生まれてきてよかったって思えるような子を育てられる自信がある」
なんの根拠も実績もないけれど。「できる」と思う。
「それでも、お母さんが不安なままなら、不安がなくなるまで、いくらでも私の考えを話すよ。私も、自分の不安がなくなるまで考えて、行動しなきゃと思ってる。だから、お母さんは心配しなくて大丈夫やで」
母は、あんたの家族のことやし、あんたが決めたことなら応援すると言ってくれた。
最後に、酔っ払った父は案の定、「あ〜、でもお母さんに似ている孫は見られへんのか〜」とか言っていたが、それはごめん、とサラリと流しておいた。
その日は、寝る前に夫に「養子のこと話したよ」とメールをした。
その後、同じくひとりで帰省していた夫から「こっちも話したよ。理解してくれたみたい」と返事があった。
続きは第25回にて。
写真のこと:たまに散歩に出かける河原。線路と道路が並んで川を渡る地点がある。間に立つと、視線の先に、線路と道路が交わる消失点が現れる。電車が走る音が響いて、時折とても騒がしいのだけど、好きな地点です。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。