妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載22回、6回目の採卵、そして養子縁組の研修について。
体外受精と並行して
どなたかが産んでくださった子どもを、いつか我が子として迎え入れるため、児童相談所と民間団体に養親登録を申請したのが2017年8月。
“産んでくださった”……、いや別に私たち夫婦のために産んだわけではないのは理解している。
けれど、もしも、児童相談所や民間団体を介して子どもが私たちのもとへやってくるのなら、その子を産んだ方には感謝の気持ちしかない。
その人は、確かに、諦めずに子どもの未来を信じて、“産んでくださった方”なのだと思う。
そんなこんなで、児童相談所の面談を受けたり、民間団体と電話面談のスケジュールを調整したりしている間にも、西新宿Kクリニックでの不妊治療は続けた。
9月に6回目の採卵を行い、10月にD判定(妊娠率20〜34%)の胚盤胞1個を移植。
結果は、着床せず。
悔しいけれど、判定は当たってる。現在までに着床したのはA判定だけ。DやEだと、やはり難しいんだなぁ……。
でも、着床しなかったときの心のダメージは少なくなっていたと思う。
すでに6回の採卵を経験し、採卵→受精→凍結→移植という一連の流れに伴う感情の浮き沈みに慣れてきたってのもある。
けれど、それよりも、養親登録に向けて行動を起こしたのが大きかった。
もし、着床しなくても、妊娠できなくても、産まなくても、親になれる方法がある。
そのことが、妊娠と流産を繰り返し、体外受精で空振りし続ける私を、疲弊し切って倒れてしまわないように、ガッチリ支えてくれていたんだと思う。
育てたい人と育てられない人
そして、今回の移植もダメだった……と落ち込みそうなとき、いいタイミングで民間団体Fから「夫婦のための特別養子縁組入門研修」の誘いがあった。
それは、もちろん、行きますとも! 私たち夫婦は、前のめりで参加した。
入門研修は、養親(育ての親)になるための基礎知識を得て、心構えを整えるような内容だった。
午前中は団体のビジョンから特別養子縁組制度、社会的養護、児童虐待の実態などが説明され、午後は養子縁組で子どもを迎えるまでの具体的な手続きなどのほか、実際に特別養子縁組で親になった方の話を聞くことができた。
事前に、本を読んだり、ネットで調べたりして予習していったけれども、やっぱり実際に現場にいる団体スタッフさんから聞く話はメチャクチャ興味深い。
私たちは、1時間の休憩を挟んで6時間の研修中、ずーーーーっと前のめりだった。
後日スタッフさんから「やたら姿勢が良くて目立ってた」と言われたくらい。
その日、メモを取りながら聞いていた話のなかで、一番心に残ったのが、産みの親のこと。
そもそも、養子縁組や里親などの家庭擁護や、児童養護施設などの施設擁護といった「社会的養護」が必要になる子どもには、いろんな事情がある。
いや、正しくは、産みの親の事情がある。
中学生で予期せず妊娠し、育てるのが難しい。レイプされて妊娠し、産むのさえつらい。生活が困窮していて育てられない。難病を抱えていて子育てできない。
本当に、それぞれ、いろんな事情がある。
そんななか、誰にも頼ることができず、産んだけれども、我が子を愛することが難しく、苦しくて苦しくて、虐待に走ってしまうケースもあるだろう。
虐待を受けた子どもの数は年々増加し続けていて、厚生労働省「社会的養育推進に向けて」2017年のデータによると、その数は年間12万人以上。
虐待死の数は50件を超えるらしい。
そんなに……いるんです。せっかく産まれたのに、苦しんだり、死んでしまったりしている子どもたちが。
私の子どもだったら、絶対にそんな目に合わせない。怒りのせいか、武者震いか、とにかく体が震えた。
続きは第23回にて。
写真のこと:先日、食器棚のグラスを片っ端から磨いた。小澄正雄さんのグラスは、ビールを飲んでも、トマトジュースを飲んでも、味が違う。そいでもって、底から向こうを覗いたら、いつもの景色も違って見えた。“非日常”をくれるグラス。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。