僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

「お父さん頑張ったね」|幡野広志「ラブレター」第50回

立場が逆転してわかったこと

コピーライト 幡野広志

息子が目薬をするのを嫌がっている、どうやら目薬が怖いようだ。目薬ぐらいのことで息子だってぼくだってストレスを感じたくない。だけどここで無理やり目薬をさそうとしたり、ぼくがイライラした顔を見せるのは二階から目薬をさすような効率の悪さがある。

息子は地球にきて5年しかたっていない。まだ知らないことばかりだ。ぼくは地球にきてそれなりの年数がたってるけど、それでもまだ知らないことがたくさんある。知らないことをやるのは誰だって怖いし緊張をする。はじめてのアルバイト先で働くときや、はじめて一人で飛行機に乗ったときは緊張したものだ。

息子は目薬を知らないから緊張をしているのだろう。自分の目に何をされるのかも、目薬をするメリットも知らないから怖いのだ。知らないものに恐怖を覚えるのは、生存本能としては正しい。怖いと感じているものを「怖くないよ」と声をかけるより、「そりゃ怖いよね」と声をかけて目薬のことを教えてあげたほうが、二階から目薬をさすよりも効率がいいような気がする。

かといって目薬のことをどう教えてあげればいいのかわからないので、息子に目薬を渡して視力0.1のお父さんの目で実習をさせた。さっきまで緊張していた息子はとてもたのしそうだ。緊張をほぐすにはユーモアも必要だ。立場が逆転してわかったけど、子どもに目薬をさされるのはとても怖い。子どもがくしゃみをした勢いで、視力0.1の眼球に文字通り目薬を刺されたらとビビる。視力0.1とはいえ大切な眼球だ。

もしも息子に「こわくないよ」とかわいく声をかけられても、絶対にめちゃくちゃ怖い。声がかわいいだけ余計にホラーだ。息子は目薬で何をするかを知れて、ぼくは子どもの恐怖感を知ることができた。その後、息子はすんなりと目薬をさすことができて、親バカなうえに自画自賛なんだけど息子と自分のことを褒めた。

親の感情に子どもを付き合わせてしまったら

コピーライト 幡野広志

このエピソードを病院で治療中に看護師さんに話したんですよ。そしたらこれは小児科でやるプレパレーションってというものとおなじことらしいんです(そりゃ厳密には違うんだろうけど)。

子どもの手術や治療をするときに人形やイラストを使って説明や練習をして、知ってもらうことで安心して手術や治療をがんばってもらうらしいんです。たまたまだけど目薬実習はおなじことなんだって。医療で使われるテクニックって、子育てにも役立つよね。

「患者さんに寄り添う」という言葉をよく医療者の方が使うのだけど、患者なりにこの言葉を紐解くと、患者さんの感情に付き合うことだと思っています。不安や緊張に付き合うことだったりするけど、極端なことをいえば相手の気分やワガママに左右されることでもあるから消耗することだし、要求が斜め上に高い患者さんもいるから限界もあります。

子育ても子どもの感情に付き合うことが、子どもに寄り添うことの一つなんじゃないかな。子どもの気分に左右されるから消耗はするし限度もあるのだろうけど、限度内で感情に付き合ったほうが子どもには良いように感じます。たまたまかもしれないけど、結果としては優くんはすんなり目薬ができるようになったしね。

病院にいくと感じるのだけど、患者の感情に付き合うのではなくて、自分の感情に患者を付き合わせちゃう看護師さんも中にはいるんですよ。そこはまぁお互い様だよなと思いつつもやっぱり多少なりとも消耗するんですよ。親の感情に子どもを付き合わせてしまったら、きっと大人よりも消耗しちゃうんだろうね。

優くんに目薬をさした後にキミから「お父さん頑張ったね」と褒められたことがうれしかったです。これもぼくの感情を理解して付き合ってくれたから出た言葉なんだけど、ありがとうね。

また書きます。

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今日はお父さんのたんじょうびなんだよ|幡野広志「ラブレター」第49回

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ぼくときみが変わらないのは|幡野広志 連載「ラブレター」第18回

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幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi