不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記「うんでも、うまずとも。」

【連載第46回 うんでも、うまずとも。】 親子になる


妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因がわかれば治療法がわかる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。治療のしようがないまま現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そして、体外受精を繰り返すなかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな47歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載46回、”うまずとも”親になる。

「赤ちゃんが生まれました」

うんでもうまずとも 吉田けい

2022年2月のある月曜日。
私は取材先に向かうため電車に乗っていて、車窓から外の景色を見ていた。

不意に、養子縁組あっせん団体の私たち夫婦の担当者さんからのLINE。
「今日、おふたり揃って、お話しさせていただく時間はありますか?」
なんだろう? もしかして? いやでもまさか?

夫も私も、その日の夕方には、いそいそと仕事を片付けて、担当者さんとのオンライン会議のためパソコン前に正座待機していた。

会議が始まる。担当者さんの笑顔に、なんだかホッとする。

「赤ちゃんが生まれました」

ジュワァッと涙が溢れ出るだけで、言葉は出てこない。
気づけば私たちは手を繋いでいた。
何年か前、何度目かの妊娠のとき、おなかの中の赤ちゃんの心臓が見えたと、診察のあと、病院の待合室にいた夫に報告して、手を握り合ったことを思い出す。

そして、担当者さんから、赤ちゃんが生まれた経緯などが語られた。

私が嗚咽を抑えられなくなったのは、産みの親さんが、思いがけず妊娠し、戸惑いながらも出産を決意した、と聞いた瞬間だった。
おなかの中で、ポコポコと心臓を動かして生きようとしている命の存在。
その愛おしさが、私にも痛いほどわかったから。

最後に、担当者さんは委託についての意思を私たちに確認したけれど、そんなの、答えはYESもしくはWELCOMEに決まっていた。

そして、そこからは急展開。
オンライン会議の3日後にはお迎えだ。

肌着にオムツ、おしり拭き、哺乳瓶、粉ミルク、ベビーベッド、寝具、おくるみ、ガーゼ、ツーウェイオール、ベビーバス、ベビーソープ、ベビー乳液、綿棒……まだまだもっともっとあったが、それらをネットで一気に注文。

配送が間に合わないもの、ネットで見つけられなかったものは、6駅先にあるアカチャンホンポまで買いに走った。

そして赤ちゃんは、生まれて6日目に、我が家へやって来た。

小さな小さな「同居人」

「生まれました」から3日で、急に親となった私たち。
それから3日間は、団体のスタッフさんが我が家にやってきてくださり、3時間おきにミルクをあげて、ゲップさせて、オムツを替えて、沐浴して、抱っこして、寝かしつけて……という新生児のお世話のアレコレを、手取り足取り教えてくださった。

その後しばらくの赤ちゃんとの生活は、たぶん多くの家庭と似た感じだったと思う。
健診も予防接種も、近所の同じ月齢の子たちと一緒に受けた。

違うのは、赤ちゃんが私たちの「子ども」ではなく「同居人」だったってことくらいかな。

養子縁組成立までは、私たちは赤ちゃんと同居して養育を委託されている立場。
姓も、赤ちゃんは産みの親さんの姓のまま。

そう、赤ちゃんがやって来て、すぐに養子縁組が成立するわけではない。

私たちの場合は4月に、まず家庭裁判所に特別養子縁組の申し立てを行い、その後、裁判所の調査官と児童相談所の職員によって、私たち夫婦は子どもを育てるのに適しているのか、産みの親さんは本当に子どもを育てられないのか、が調査されるのだ。

面談があったり、家庭訪問があったり、その調査期間は約6ヶ月。
長い? 短いかな? 私にはとっても長く感じた。

なぜなら、その間に、もしも産みの親さんが自分で育てようと思い直したら……
もしも私たちが裁判所に親として不適格と判断されたら……
腕の中ですやすや寝息を立てる赤ちゃんは、私たちのもとから去ってしまう……
そう考えたら、早く調査を終わらせてくれ、早く審判が下ってくれ、と本当に気が気でなかった。

そして2022年10月、児童相談所と家庭裁判所のそれぞれの家庭訪問が終わり、12月に、ようやく審判が下され、特別養子縁組が成立し、赤ちゃんは「同居人」ではなく、私たちの子どもになった。

続きは第47回にて。いよいよ最終回です。

写真のこと:初めて一緒に写真を撮った私たち。小さくて柔らかくて儚くて軽い赤ちゃんを、カッチコチの姿勢で慎重に抱っこしている夫の姿が、なんだかおかしかった。


【連載第45回 うんでも、うまずとも。】 母になる

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【連載第44回 うんでも、うまずとも。】 養子縁組に再挑戦

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吉田けい

吉田けい

よしだ けい


1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。現在は不妊治療を継続しながら、養子縁組を目指す待機養親としても登録中。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。