妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載29回、ついにひとつの団体での養親登録が完了する。
9回目の採卵、のち移植見送り
臨月の友達からもらった不思議な激励メールにまんまと励まされ、久しぶりに採卵を。これで9回目だ。
ついでにやっておいた子宮ガン検査も問題なし。気分スッキリ、視界良好な感じで、採卵にのぞんだ。
とれた卵は2個。
両方とも正常に受精し、後日、無事に凍結にも成功した。フゥ、まずはよかった。
では、来月以降の移植に向けて、受け入れ態勢を整えよう。飲酒を控えたり、仕事を控えたり、食生活に気をつけたり、ね。
そんななか、うれしいニュースが飛び込んできた。
私が妹のように思っている元職場の後輩が出産したのだ。
2回の流産を乗り越えて、やっとの出産。
自分のことのようにうれしくて、出産報告メールを見た瞬間、泣いた。
その週の週末にはお祝いを買いに走ったと思う。
気分はもう親戚のおばちゃんだった。
……そして、今度は自分が、がんばる番。
しかし翌月の移植予定日には、ちょうど名古屋遠征ライブが入っていて、見送るしかなかった。
ライブの予定は、たいてい3ヶ月以上前に決まってしまうので、私はいつも半年先まで、あらかじめ採卵や移植日を計算して、その周辺1週間はライブも仕事も入れないようにしている。
それでも、体調によって、採卵や移植の日は簡単に前後する。前後のズレが3ヶ月以上重なると、ズレにズレて、死守していた1週間を脅かし始め、ライブや仕事と日程がバッチリ重なってしまうこともあるのだ。
ともあれ、その名古屋遠征ライブは、移植を延期した開放感からか、盛大に打ち上がってしまって大騒ぎ。たまにはいいよね、と思いつつも、翌日からは禁酒した。
その後、ホルモン値の検査などを経て、移植は7月6日に決定。
それと並行して、移植までの間に養子関係の件も進めた。
Fにて養親登録完了
さて、養子縁組に関して。
今までお話ししてきたように、ワープなしで一つひとつコマを進めていかなければならないスゴロクのようで、最終ゴールはもちろん“養子縁組成立”なのだけど、そのためには養親として登録される必要がある。
その養親登録が、とりあえず目指すべきゴール。
ここにたどり着いたあとは、努力というよりも、巡り合わせなのだから、とにかく待つしかない。
つまり、ひとまずのがんばりどころは養親登録まで。
私たち夫婦は全力で突っ走った。
2017年8月から行動を開始し、数度にわたる電話ヒアリング、面談、入門研修、書類審査、実践研修、ホームヒアリングなどを経て、2018年5月には、残された進むべきマスは1つとなっていた。
最後のマスは、Fが提携している産前産後センターでの実習研修だ。
新生児の生活リズムや身体的特徴を知り、どのように接すればいいのかを学ぶ研修。
実際に、赤ちゃんと触れ合う機会もあった。
オムツのはかせ方や、当時発売されたばかりの固形粉ミルクを使って、実際にミルクをつくるという研修もあった。
そして研修終了後、とうとう民間団体Fの“育ての親”として登録されることとなった。
ホッとした。
長かったような短かったような……、とにかく無我夢中で駆け抜けた。
だからこそ、学んだことを覚えているかどうか不安ではあったけど、困ったらまた調べたらいい。
「明日にでも赤ちゃんが来てもいいぞ」
そんな気分だった。
その後、6月に、Fと同じく「赤ちゃん縁組事業」を行うAという団体主催の養親交流会に参加した。
AはFに事業協力しているという関係だ。
そのため、交流会の会場では、Fの研修で一緒になって、顔見知りになった夫婦にも何組かお会いすることができた。
驚いたのは、そのうちの1組が赤ちゃんを抱っこしていたこと!!!!!!!!
研修で一緒に固形粉ミルクをつくった、あの夫婦が、もうお母さんとお父さんになってるぅ!!!
聞けば、研修のあと、すぐに養子縁組の話があったのだそう。
なんというか、私としては、研修を受けた夫婦の方々は、一緒にがんばってきた仲間という感じがしていたので、めちゃくちゃ感動して、泣いた。
私たちも、いつか。
そう思えた。
続きは第30回にて。
写真のこと:喫茶店とか甘味処とか、サンプルが並ぶショーケースを見かけるとついつい覗き込んでしまう。もうそろそろ季節ですね。信号機カラーのカキ氷。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。