妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載30回、養子縁組への動きが進むなか、胚盤胞移植で最高ランクの結果に。
養子縁組の団体を1つに絞る
晴れて“育ての親”として民間団体Fに登録することができた私たち。
並行して民間団体Bと児童相談所でも登録準備を進めていたのだけれど、Fに登録できたことで、他の2つでの登録をやめてしまった。
一番大きな理由としては、Fこそが赤ちゃんを受け入れる団体として信頼できると思ったから。
赤ちゃんはもちろん、産みの親に対するケアや、育ての親に対する研修など、各方面に対してみっちりとサポートし、関わるすべての人が幸せになれるように全力で奔走しているFの活動を間近で見て、「安心して付き合っていける団体だ」と実感できたから。
私たちは親になったことがないし、子どもを育てたことがない。養子を迎えることに対して不安だらけだ。
だからこそ、まだ見ぬ赤ちゃんと親子になるチャンスをくれる団体には、微塵も不安を感じたくなかった。
Bに関しては、都の里親研修を養親登録条件としており、登録準備を進める上で私たちと団体との接点が希薄。いまいち理念などが見えないことが不安になり、途中でコマを止めた。
児童相談所については、面談を受けた当時、新生児(生後28日未満の赤ちゃん)を養子として受け入れることができなかったというのが不安要素だった。
赤ちゃんの心に“愛着”が形成されるには、生後6ヶ月までに1対1の関わりが必要だと研修などで学んでいたので、社会的保護を必要とする赤ちゃんが、その時期を乳児院で過ごすと聞いて愕然とした。
いや、もちろん、乳児院の保育士さんは育児のプロなので、不慣れな養親や里親よりは子どもにとって安心で安全だ、という風にも考えられる。
でも、一番大切な時期に一緒にいられないなんて……。
なぜ新生児を受け入れることができないのか。
児童相談所には答えてもらえなかったけれど、ネットで調べてみると、「障がいや病気の有無などを見極めるため」「最適な育ての親とのマッチングを慎重に行うため」というのが見つかった。
それも大事なことだけど、もっと大事なのは赤ちゃんの心に、1対1で全力で寄り添う大人の存在じゃないのか……?
だから、私たちは児童相談所での登録をゴール目前でやめた。
でも、その後、東京都でも、児童相談所と乳児院が協働して、養子縁組を前提とした新生児の里親委託がスタートしたらしい。年齢などの条件や状況をみて、リトライするかもしれない。
養子縁組を考えるにあたって、なにを優先するかは、夫婦によってそれぞれだと思う。FよりもBが、民間団体よりも児童相談所がいいという夫婦もいると思う。
ひさしぶりに胚盤胞移植
そんなこんなで、次は不妊治療。
2018年4月に採卵し、凍結に成功した2個の胚盤胞のうち1つを、いよいよ7月に移植する。
移植が決定した胚盤胞のランクはB(妊娠率:45〜54%)。半々かぁ。なんとも言えない数値だな。
40歳だった2016年7月に、A判定を受けてから、とんとAなんぞ見かけていない。
胚盤胞になった時間も、凍結までの時間も、胚盤胞の大きさも、形態的評価も、すべてなかなかイイ感じの評価なのに……。もしや。
移植を10日後に控えた診察中、先生に聞いた。「もうAになることって、年齢的に難しいんですかね?」
「そうですね、42歳ですと、評価において年齢がマイナスになってしまうので、最高でBです」
やっぱりかーーーッ! ……しょぼん。
でも、待てよ。
私の体は妊娠するには年をとりすぎているという評価だけど、胚盤胞としては最高ランクなわけだ。
気合いで猛烈にアンチエイジングすれば、うっかりなんとかなっちゃうんじゃないかしら。
そんな風に、うっすら期待がもてた。
前向きな気持ちで、西新宿Kクリニックで会計を済ませ、エレベーターに乗り、帰路に着こうとした瞬間、民間団体Fから電話があった。
「この前の養親交流会では、もう少し体外受精を続けたいって言ってたけど、もしも縁があったら、すぐに赤ちゃんを受け入れることってできますか?」
もしかして具体的に我が家に紹介したい赤ちゃんがいるのかな……、電話を受けて、そう感じた。
もし、そうだとしたら会いたい! 今すぐにでも!
でも、ついさっき、移植日が決まったばかり……。
私はKクリニックのエレベーターホールの隅っこで壁を向いて、正直な気持ちを話した。
10日後に移植日を控えていること。まだ凍結している胚盤胞があること。さらには、先走って妄想して、体外受精がうまくいって、妊娠している状態で養子として迎えた子どもを育てる自信がないとも言った。
そのまま電話口で話し合って、結果、体外受精を続ける間は、養子の受け入れをストップすることになった。
Fが養子縁組のマッチングを決めるには、この赤ちゃんはどの家族のもとへ行くのが一番幸せなのか、何日もかけて団体内で話し合うそうだ。
考えて考えて、じゃあ、この家族のもとへ……となって、いざ連絡したら、「受け入れられない」となったら、赤ちゃんにとっても団体にとっても、精神的にも時間的にも、大きなロスになってしまう。
しかたない。
しかたないけど、赤ちゃんが我が家にやってくるかもしれないチャンスを見す見す逃した感じがして、電話を切ったあとも、しばらく呆然と立ち尽くした。
なにも起こってないのに、ものすごい喪失感。
私の判断は間違っていたのかも。体外受精なんてやめて、「すぐに受け入れます!」と答えればよかったのかも。
Kクリニックから外へ出たら、もう夜だった。
続きは第31回にて。
写真のこと:現実逃避したいとき、高いところに上るクセが、どうやら私にはあるみたい。ちっこい人や車がチョロチョロと動いているのを見ていると、自分が現実から切り離されて、“どこにもいない”気分になる。たまにはイイですぞ。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。