妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載31回、養子の受け入れを一時ストップして臨んだ胚盤胞移植は……。
実質Aランクの胚盤胞を
不妊治療を続けるため、養子の受け入れを一時ストップしたことで、数日後に控えた胚盤胞移植に集中しようという気持ちは湧いてきたが、反対に、喪失感と焦燥感が募っていった。
民間団体Fから電話をもらった時、受け入れをストップすると伝えてしまったせいで、もしかしたら今まさに紹介されようとしていた養子を、自ら手放してしまったのではないか。
不毛な不妊治療に現を抜かしている間に、養子と出会える、せっかくのチャンスを逃しまくっているのではないか。
でも、考えても仕方がない。
Bランク……もとい私の年齢のせいで評価を下げられている実質Aランクの胚盤胞が、私のお腹に戻される日を待っている。
やるしかないのだ。
そして2018年7月、普段から愛食&愛飲しているプラセンタ漢方ドリンク、ローズヒップ入りルイボスティー、亜麻仁油、アボカド、ナッツ類、プルーン、納豆などなど、思いつくアンチエイジング食材をきっちり摂取して、移植にのぞんだ。
移植は、いつもどおり、なんの問題もなく終了。
実質Aランク……、嫌でも期待してしまう。
でも、AだろうがDだろうが自然妊娠だろうが体外受精だろうが、妊娠しても、ことごとく流産していることから、期待とともに流産に対する恐怖が湧き上がってきて、なんというか、心が疲れた。
移植から1週間後の判定日の3日前から、なんだか胸が張ってるかも(でも流産したくない)、子宮あたりがチクチクするなぁ(でも流産が怖い)と、ずっとソワソワが止まらない。
堪り兼ねて妊娠検査薬を買ってきて、判定日の2日前に使ってみた。
結果は陰性。でも5分後に、よーく見たら、うっすら線が見えるかも?
もしも妊娠しているなら、翌日には線が濃くなっているはず。
判定日前日にも妊娠検査薬を使った。
結果は陰性。でも30分後に、よーくよーく見たら、うっすら線が見える気がする。
見える? ……見えないか?
いや、流産を経験しすぎて、もはや幻覚が見えているだけだ。私は、目も頭も、もうおかしいんだ。
そして判定日。今回もダメだった、と肩を落として西新宿Kクリニックへ向かった。
胎嚢くらいじゃ喜ばないぞ
「妊娠してますね」
「え!」
いよいよ耳も、おかしくなったか。
「妊娠……?」と聞き返すと、「してます」と先生。
「でも……実は昨日、検査薬を使ったら陰性で」と伝えると、「夕方のこの時間の数値でβ-HCG55.5なので、市販の検査薬では、昨晩から今朝くらいから反応し始めるくらいですね」と先生。
なんと妊娠してた。
うっすら見えていた線は幻覚じゃなかった。弱々しくも、ほんのりと陽性を示していたんだ。
でも、喜ばないぞ。
着床したくらいじゃ、喜んではいられない。これから越えなきゃいけない壁が、いくつもあるんだから。
判定日から2週間後、胎嚢が確認できた。
ちゃんと私の子宮内で、赤ちゃんが成長しようとしてくれている。
でも、まだ喜ばないぞ。
それから1週間後。西新橋J病院へ行き、追加のバイアスピリンを処方してもらった。
少しでも血液をサラサラにして、妊娠を継続させなければ。
J病院でも胎嚢を確認。しかも、先週よりも少しだけ大きくなっていた。
でも、まだ喜ばない。
だって、ここまでは、もう何度も経験してきたこと。
何度も胎嚢を確認して、そのたびに喜び、そのたびに期待を裏切られ、泣いてきたんだから。
胎嚢確認から2週間後、夫とKクリニックを訪れた。
順調に成長していれば、心拍が確認できるはず。
この壁を越えたことは一度もない。
内診室に入る時、膝頭が震えて、変な歩き方になった。
……モニターを見つめていると、煙のような白い影が。
その中央にピコピコと動くものが見えた。
「オォ!!!」
心の声が口から漏れた。
内診室から出ると、心配そうな顔で夫がこちらを見る。笑顔で吉報を伝えようと思ったけれど、涙が溢れた。
「見え…タ……ヨ…」
そう伝えた瞬間、夫も顔をくしゃくしゃにして泣いた。
たくさんの人がいるクリニックの待合で、周りに気づかれないよう、声を殺して、ふたりで泣いた。
気づいたら私の手はブルブルと震えていて、その手を夫がギュッと握ってくれた。
とうとう心拍が確認できた。
“心拍が確認できたら、ひとまず安心”
そう聞いたことがある。
私は、その場で母に「心拍、見えたよ」と報告した。
勢いで、私の顔を見て「すぐ赤ちゃんが来そう」と言ってくれた友人のDJ妊婦、改めDJママにも報告しようと思ったが、そこは思いとどまった。
うれしくてうれしくて、家族にも親戚にも友人にも、みんなみーんなに報告したい気分だった。
続きは第32回にて。
写真のこと:出張で訪れた直島を散歩していたら、浜辺に海藻が流れ着いていた。ラディッシュようなピンク色や、赤しそのような紫色、レタスのようなフレッシュな緑色、切り干し大根のような黄土色、と実にカラフルでおいしそうだった。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。