2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、2歳の息子と妻をもつ36歳の一人の写真家による、妻へのラブレターである。
きっと、ぼくの知らないところで。
今年にはいって3回目の入院をした、病気になってからはたぶん5回目か6回目かぐらいだ。そろそろベテラン入院患者と名乗ってもいいころだとおもう。
ベテランだけに入院生活もスマートだ、70Lほどのスーツケースに必要なものをすべて入れて、映画をたくさんダウンロードしたスマホと本を一冊、それからカメラとパソコンをショルダーバックにいれる。
玄関にぶら下がっている1mほどの木製の靴べらを手にとって、おなじサイズ、おなじ色のジャングルモックが6足ならんだ下駄箱から、今日の一足を選ぶ。
おなじサイズだけどはいている期間が違うから、それぞれはき心地が違うのだ。
家族の付き添いはつけずに息子と妻に「じゃあね。」と笑顔で家をでる。
アプリでよんだタクシーが外でぼくを待っている、目的地の病院は登録して、支払いはネット決済だ。旅行なのか入院なのか見分けがつかないほどスマートだ。
入院中は映画をみたり、本を読んだり、原稿を書いたり、写真をとったりする。
旅行先か病院かの違いだけで、やっていることも日常と変わらない。
2日に一度くらいの頻度で妻が見舞いにきてくれる、妻から息子の様子を聞くのが入院中の一番のたのしみになる。
ぼくはよくありがちな間取りの、家族向けのマンションに住んでいる。
陽当たりのいい南側にキッチンとリビングと使い勝手の悪い和室があり、廊下をとおって北側に玄関と寝室がある。
リビングの窓をあけると、風が廊下を走って玄関のすき間から風が抜ける。そのときにぶら下げた靴べらがカタカタと鳴子のように音をだす。
この音を聞くと息子がぼくが玄関をあけて帰ってきたとかんちがいして「あっ、おとーさんだぁ!」風と一緒に玄関へ走っていくそうだ。
玄関に行ってもぼくはいない。
「バァッー!!」と、どこかに隠れたおとうさんが驚かしてくるのを期待して、暗い寝室をそーっと探したり、洗面所をそーっとのぞいてぼくを探しているそうだ。
似たような出来事はいままでも何度もあった、妻はいつも笑いながら話してくれた。
でもこの日は涙をためながら、すこし声を震わせながら、妻が話してくれた。
いつもは笑い話ですむことなのに妻が涙をためていたのは、ぼくを探す息子をみて、それがぼくが死んだあとの光景であることに気づいたからだろう。
去年の年末にぼくは肺炎と敗血症になり緊急入院をした。
死ななかった自分を褒めるぐらい、このときにしっかりと死にそうだったのだけど、弱ったぼくをみて息子がすごく不安そうだった。またおなじ不安を息子に与えないためにスマートに家をでたのだけど、妻の心にも不安の種のようなものがあるのだとおもう。
妻の瞳にたまった涙はこぼれおちることはなかった。
きっとぼくの前で泣いたらいけないとおもったのだろう。
でもきっと帰りのエレベーターで下がっているときや、車に乗り込んでエンジンをかけたときなど、一人でいる瞬間にあの涙はこぼれおちている、妻はそういう人だ。
ぼくの知らないところで、本当はなんどもなんども涙を落としているんじゃないかな。
ずいぶんとスマートに泣く人だ。
君の誕生日と結婚記念日、おめでとう
「つらいときは泣いてもいいんだよ。」とか「無理しないで泣いていいんだよ。」みたいな言葉ってぼくは病気になってから50回ぐらい言われているんだけど、20回目ぐらいで「あぁ、これはぼくが泣いているところをみて、自分が満足感をえたいだけだ。」ということにぼくは気づきました。
あれって勘違い系J-POP君の言葉であることがおおいから君も気をつけてね。
特徴はJ-POP系の歌詞にそのまま使えそうな励ましの言葉がセットです。
だいたい「ありのままでいいよ。」って励ましてくるし。
ぼくは君にそんな言葉をかけるつもりはまったくないけど、君が不安なことにぼくは気付けていなかったね。そりゃ、さすがにまったく不安感がないとはおもっていなかったけど、病室でみた君の涙で、君の具体的な不安に気づきました。
ぼくも咳が続いたり、タンが出るだけでも、また肺炎かも…って不安になってすこし落ち込みます。背中が痛くなったり、足がふらつくだけでもまた背骨に腫瘍があるんじゃないかと不安になります。
いちどでも心に不安の種が植えつけられると、些細なことでも心配になるものです。
はたからみればただの、とりこし苦労なんだけど、この不安感はなかなか理解されないものです。
火傷の痛さや、水中で息ができない恐怖や、パチンっていう静電気の怖さを知っていることとおなじです、やっぱり怖いですよ。それでも誰かの不安感というのはやっぱり理解はされにくくて、たぶんぼくも(ぼくだからこそかも)君の不安を理解することはとても難しいことだとおもいます。
ぼくの心にも君の心にも、きっと優くんの心にも不安の種はあって、この種に水を与え続けると、恐怖の花みたいなものが咲いてしまいそうです。さて、これはどうしたらいいものかね。水を与えないように現実逃避するのがいいのか、花が咲くのを受け止めるのがいいのか。ぼくもイマイチなにがいいのかわかりません。
肺炎で不安の種ができたわけじゃなくて、ぼくが病気になってからすぐに2人とも種があったんだろうね。きっと肺炎でちいさな芽が出てしまったのだとおもう。
そしていつか必ずこの花は咲いてしまうとおもいます。
それは避けようがないことだから、咲いたときにどうするかをいまのうちから考えた方がいいね。これからときどき、考えようとおもいます。
この記事は金曜日に更新されるはずだから、7日です。
君の誕生日だね。おめでとう。
33歳か34歳ぐらいだよね、どっちだっけ?まぁいいや、とりあえずおめでとう。
そして今日は結婚記念日です、8年たったね。おめでとう。
ケーキを買って帰ります、ロウソクを吹き消すのはきっと優くんです。
また書きます。
◆幡野さんの新刊が発売中です。
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』
子どもの頃って、どうしても選ぶことができないけど大人になったり、病気で人生が短くなってくると、じつはなんでも選べるし、選ばないといけないんですよね。生きにくさを感じている人に、生きやすさを感じてもらえることを願っています。(タイトルに寄せた幡野さんの言葉より)
幡野広志
はたの・ひろし
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi