妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな44歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載39回、ゆっくりと動き続ける胎嚢。ほとんど大きくならない胎嚢。
小さすぎる胎嚢
目を凝らさないと見えないほどの心臓、静かにピコピコと動いていた。
内診室を出て、待合スペースで不安げな表情を浮かべている夫に伝えると、周りに聞こえないくらいの音量で「よかった」と呟いて、私の手をギュウッと握り締めた。
内診のあとは、診察室で先生からの話を聞く。
「心拍は見えたけど、胎嚢が3.5mmしかなくて、心拍もゆっくりなんですよね」
「体外受精の場合、この時期に胎嚢の大きさには差が出なくて、だいたい10mmほどあるはずなんですよ……。心拍、止まってしまうかもしれないですね」
ピコピコを見て舞い上がったところで、叩き落とされた気分だった。
硬くて冷たい地面に、全身を打ち付けたみたいで、息もできないほど痛い。
2つの胎嚢は、やはり双子になりかけたらしい。
だけども、片方は空っぽだった。
「とにかく様子を見るしかない」
一週間後に再度検診を受けることになった。
おそらく、今回もダメだろう。
これまでの経験上、先生がダメかもと言った場合にダメだった確率は100%。
ダメと言われて、診察間違いや機械の故障に期待しても無駄だった。
今回の移植前に、「これで最後」と宣言した。
ダメだったら……もう諦めなければならない、のか。
再診までの1週間で、体外受精をやめる決意を自分自身に再確認したかった。
が、できなかった。
今回は不正出血があったし、双子だったし、予想外なことが起こりすぎた。
今までのように順調にプロセスを踏んで、それでもまたダメだったら諦められるのに。
そんな“やめられない言い訳”が何度も頭をよぎる。
モヤモヤの嵐が吹き荒れるなか、再診の日がやってきた。
まだ動いているはず
朝からずっと吐き気がする。胸が張って痛い。とてつもなく眠い。
そんな典型的妊娠初期症状を感じるたびに、期待してしまう。
まだ心臓は動いているはず、と。
つわりがあるから、きっと大丈夫だ。
でも、流産したあとでも、つわりがあった時もあったなぁ……。
大丈夫かな、いやダメかも、大丈夫だって、いやダメだろ。
あっちとこっちに大きく気持ちを揺さぶられて、吐き気が増すようだった。
内診室に入り、診察台に上がって、モニターを見つめる。
1個目の胎嚢は、やはり空っぽのまま。
2個目の胎嚢は……なんだか形が変わったかも? 尻尾みたいなのが伸びていた。
でも、ピコピコは見えない。
やっぱりダメだ。もうモニターを見たくなくて、目を閉じた。
「動いてますね」
え! どこどこ!
目を見開いてモニターを見る。
「でも、ゆっくりですね」
先生の声が慎重に絞り出された。
確かに、ゆっくり。そしてサイズも4.4mmしかない。
前回からほとんど大きくなっていない。
でも、生きてた!
がんばってくれていた!
その後、診察室で先生から「見守るしかない」と言われ、もう期待したくない私は本当のことを知りたくて、「先生は、このあとどうなると思いますか?」ときいた。
「小さいし、心拍もゆっくりだから、妊娠継続は厳しいと思います」
そっか……。
体温が6度くらい下がった感じがした。
続きは第40回にて。
写真のこと:夫と散歩。私たちは、とにかくよく歩く。休日に喫茶店をハシゴするときも、2駅分くらいは歩いてしまう。しかも結構な早足。それにずっとしゃべってる。だから、目的地に着いたときにはへとへとなんだよね。でも好きだ散歩。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。