とても悔しい思いでいっぱいになったことが、あれから20年以上経った今でも忘れられない。
消えない幼稚園の苦い記憶
大人になると幼い頃の記憶のほとんどは忘れてしまうとはいえ、断片的ではあるが覚えているものもいくつかある。
当時 私は4、5才くらい。
幼稚園の園庭で遊んでいるとき、男の子と口論になった。
「ぼくはみんなの中で唯一ブランコで立ち漕ぎができる!」という彼に、「私だってできる!」と食ってかかった。すると、「ちなみにぼくは手放しで立ち漕ぎすることだってできる!」と言い張る。
手放しのブランコ立ち漕ぎ…シルク・ドゥ・ソレイユに出てきそうな難易度になってしまうような気がするが、カッとなった私は「そのくらい私もできる!」と譲らなかった。
やってみせるわ、とブランコに飛び乗る私。雨上がりでブランコのチェーンは濡れていた。
ブランコに立ち上がって漕ぎ始める。いざやってみると、どうやって手を離せば良いのか分からなかった。
当然だろう。あれから20年経った今でもできないと思う。なんならその当時は立ち漕ぎ自体も、内心まだ少し怖かった。
泥だらけで泣く私を先生は笑った
呆気なくブランコから落ちた。おまけに頭から。幸い怪我は無かったが、雨のせいでブランコの下は泥でぬかるんでいて、頭のてっぺんから泥水をかぶることに。
慌てた男の子は「せんせーい!せんせーい!」と呼びに走った。よりによって、私の一番苦手なA子先生を。(A子先生のフルネームを今でも覚えているから、記憶ってなかなか侮れない)
啖呵切ってブランコに乗った挙句、一番かっこ悪い形で泥まみれになった私。どうしようもなく恥ずかしいのをグッとこらえていた。
A子先生の「大丈夫?」という言葉を期待した私とは裏腹に、A子先生の第一声は驚くものだった。
「やっだー!どうしたの?すごい顔(笑)」
皆の前で指をさしてケラケラと笑ったのである。男の子も「だっせー!」と笑う。当時の私は言い返せなくて、悔しくて涙がポロポロとこぼれた。
私の涙を見てなお、A子先生は
「えっ、ちょっと、突っ立ってないで、こっちおいで、もぅー、どうやったらこんっなに泥まみれに。」
ヒィヒィと笑いをこらえながら私の手を引く。書きながら思うが、A子先生も少なからずおませな私のことが苦手だったように思う。
お迎えにきた母にも、A子先生は「ブランコを披露しようとして、泥んこになりました☆」とわざわざ丁寧に報告した。
帰り道、母に「あの子(男の子)に煽られたんだ」と恨み言を吐いたことまで覚えている。
転んだ娘にかけるべき言葉は
今日、私が目を離した隙に娘が絵に描いたようにすてーんと転んだ。引き出しからなにかを取り出そうと力任せに引っ張ったところ、勢い余って後ろにひっくり返ったようだ。
おちゃめなんだから〜〜、と駆け寄る私。
思いがけず大声で泣いて抱っこをせがむ娘。イタズラがばれた気恥ずかしさも相まったのだろうか。
びっくりしたねぇ、ひっくり返ると思わなかったねぇ、と背中にトントンと手を添えるが、いつもなら抱っこですぐに機嫌を取り戻す娘が珍しく泣き止まない。打ちどころが悪かったのかと懸念したが、特に身体をぶつけた様子もない。
ハッとした。
脳裏をよぎったのは、ブランコの横で泥まみれになった私の姿。
声のトーンを落として、「大丈夫?」と目を見て訊いた。
まだ喃語しか話せない娘。月齢的にもまだ返事をすることはない。それでも私は「痛いところはなかった?」と続けた。
そのおかげなのか、それとも結局抱っこで落ち着いたのかは分からないが、まもなくして娘は泣き止み、にっこりと笑顔を浮かべた。
赤ちゃんでも伝わっている
0才児だから、赤ちゃんだから、とつい私の思う言葉ばかりを投げかけがちだが、もしかしたら娘は娘なりにプライドをもって私の言葉を受け取りはじめているのかもしれない。
いや、実は生まれたその瞬間から、ひとつでも多くの言葉を理解しようと耳を傾けているのかもしれない。
まさかそんな、と思いつつも、ブランコで笑い声を浴びながら立ちすくんだ自分の姿を思うと、彼女なりにすでにプライドがあっても不思議ではない。
すてーんと転がる姿はただただ可愛いに尽きるものだが、彼女からしたら恥ずかしいと気まずいのコンボだったのだ。
そんなことに気がついて、ゆるむ口元を隠して「ごめんごめん」と娘をギュッと抱きしめた今日だった。
記事提供:こさい たろ
こさい たろ
作者
令和元年に生まれた0歳女児の母。フリーカメラマンとしてスポーツや音楽ライブの撮影を手がける。愛猫と愛娘の毎日についてウェブコラムを連載中。2020年、写真集『ほごにゃんコレクション 家族を見つけた保護猫たち』(カギしっぽ出版)発売。
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