妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因がわかれば治療法がわかる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。治療のしようがないまま現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そして、体外受精を繰り返すなかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな47歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載47回、最終回です。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
私たち家族を見て、養子縁組を経て成立した家族だとは、きっと誰も思わないだろう。
子どもの顔を見て「おとうさんとそっくりだね」と言ってくれる人さえいる。
黙っていたら、たぶんわからない。
でも、私たちは子どもに、産みの親さんの存在を伝えたいし、必要であれば、家族以外にも子どもが養子であることを伝えるつもりだ。
養子縁組は、隠すようなことではないと思っているから。
どうしても育てられない事情があった産みの親さんは、子どもが一番幸せになれる方法と信じて、養子縁組を選んだ。
愛しているからこそ、幸せを願うからこそ、選んだ方法だった。
子どもを迎えると同時に受け取った母子手帳には「生まれてきてくれて、ありがとう」と書かれている。
私たちは、この言葉を子どもに伝えたいのだ。
子どもが自分のルーツをどのように受け止めていくのかは、まだわからない。
でも、望まれて、愛されて、生まれてきたことを知ってほしい。
そして、いつか、子どもが望めば、産みの親さんにも会える日が来るといいなと思っている。
かわいすぎて心臓がもたない
2月。子どもは1歳になった。
これ以上はやめて! 胸が苦しい!
ってくらいに、毎日かわいさを更新し続けている。
いまのところ、一緒に暮らしていて、子どもが養子であると意識することはほぼない。
あ、そういえば、私たち3人とも血がつながってなかったね。
そんな感じだ。
夫と、子どもと、私。
3人は、いいチームになれる。
愛してる。
愛しているよ。
写真のこと:寝返りしたなと思ったら、あっという間にそこらじゅうを走り回るようになっていた。1歳おめでとう。来年も再来年もずっとずっと一緒にいようね。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。現在は不妊治療を継続しながら、養子縁組を目指す待機養親としても登録中。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。