僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

もしも生まれ変われたとしたら、ぼくは|幡野広志「ラブレター」第57回

「よく頑張ったね」

コピーライト 幡野広志

がんは人間関係を壊す病気だ。癌を漢字で書くと山の上に口を3つ書く。本当の意味は違うけど、がんになった人のことを心配して、口が山のように大量におしよてせてくる病だとぼくは感じている。

『地獄への道は善意で舗装されている』というヨーロッパのことわざがあるように、すべての口に耳を傾けてしまうと命に関わる大事になる。地獄への道は悪魔が大声で誘導しているものだ。

じゃあなんて声をかけたらいいんだ?って疑問もわいてくる。そもそもなにか言葉をかける必要はなく、相手の言葉を聞くだけでいいのだ。コントロール抜群のボールを投げる自信があるならいいけど、言葉のピッチャーではなくキャッチャーになって、そっとボールを投げ返すぐらいの方が安全だ。

ぼくは病気になって人間関係の整理が必要だと感じた。親や親族、友人や仕事関係、ほとんどの人との関係を絶った。身体がすでに大ダメージを受けていたので、メンタルを守るために必要だったことだ。

ぼくの人生でいちばん大切な存在は息子だ。息子にとってお父さんがいない世界で重要な役割の存在が何かといえば、現状はお母さんになる。ぼくが残りの人生で守るべきは息子と妻だけだ。

具体的に何を守るかといえば、二人のメンタルだ。ぼくが亡くなったあと医療者からグリーフケアを受けることもできるけど、効果的なグリーフケアはぼくが生きているあいだに二人へ直接してあげることだと思う。この連載もグリーフケアの意味をこめてやっていたところがある。

がんになって丸5年が過ぎた。死にかけたときもあったけど、あんがいたのしく生きている。ポッと出のがん患者だった5年前のちょうど今頃は地獄を一人で迷子になるような状況だった。「よく頑張ったね」そう5年前の自分にボールを投げ返してあげたい。

この連載はサイト運営の都合上、今回が最終回になる。他のメディアに持ち込んで連載を継続することもできたけど、もともと息子が小学校に上がる前に終わろうと思っていたし(そもそもこんなに生きれるとは思わなかった)書く書く詐欺をして待たせている編集者もいるし、ちょうどいいタイミングなので終わらせることにした。

この連載をはじめるきっかけになったのは、病気になる前に狩猟をしているぼくを取材してくれたアウトドア雑誌の編集者さんだ。転職して子育てメディアにうつり、お見舞いにきてくれた病院のロビーで恐る恐るぼくに連載を提案してくれた。数少ない健康なときから付き合っている人である。

写真の仕事をすべて失ったところに、文章を書く仕事のきっかけを作ってくれた一人だ。ぼくの経験上、天使の声というのはだいたいみんな小声でどこか自信なさげだ。この連載を本にすることもできて、家族に残すことができた。編集者さんには感謝しかないので、あの世に行ったらちょっとラッキーなことがたくさん起きるように働いてみるつもりだ。

じゃあまたどこかで書きます。

コピーライト 幡野広志

病気になった当時まだ1歳半だった息子の小学校入学までを生きることを目標にして、それが叶えば贅沢だとすら思っていた。来年小学生になる息子の寝顔を見ていると、もっと生きたいと思ってしまうもので、まったくもって贅沢なものだ。

もしも生まれ変われたとしたら、ぼくはもう一度自分の人生を繰り返したい。そう思えるぐらい自分の人生には満足しているし、飽きることのない人生だった。健康なときも病気になってからも、好きなことをしてきたからだと思う。

これはいまだから断言できることだけど、好きなことをする人生というのは、たとえ病気になったとしてもたのしい。強がりじゃないマジだ。好きなことをする人生は誰かがプレゼントしてくれるわけでも、誰かが保障してくれるわけでもない。いつも自分で選んで責任を持たないといけない。

大声の悪魔と自信なさげな小声の天使を見分ける必要だってある。なにが自分のしあわせか、長い人生でそれがわからないのはちょっともったいない。だからこれからを生きる子どもたちには好きなことをどんどんやってほしい。

縁起でもないこといっちゃうけど、人間いつかは病気になるのだ。病気になったときに好きなことができるようになるためにも、健康で若いうちから好きなことをしてほしい。

そもそも子どものうちから好きなことをしていないと、大人になってから好きなことがわからなくなってしまったり、好きなことに自信がもてなくなってしまいがちだ。好きなことをやる人生には助走と慣れが必要だ。

健康なときも病気になってからも、ぼくのやろうとすることを一度も反対しなかった妻には感謝しかない。逆になんでキミはそこまで反対をしないんだ?がん患者が海外に一人旅に行くってだけで普通は止めそうなものだけど。いや、ありがたいんですけど。

もちろんキミにもちょっとラッキーなことがおきるように働いてみるつもりです。年末には宝くじを買うんだ。じゃあいつかくるその日まで。

またどこかで書きます。

コピーライト 幡野広志
親ってだけで偉いわけでもなんでもない|幡野広志「ラブレター」第56回

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君の買った宝くじが当たるように|幡野広志「ラブレター」第35回

君の買った宝くじが当たるように|幡野広志「ラブレター」第35回


幡野さんの連載は最終回となります

今まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで連載を続けることができました。そして、ごめんなさい。

幡野さんは、今後も様々な場所で、人の心を動かす写真と文章を残していくと思います。引き続き、楽しみにしていただければと思います。


この連載の第1回から第48回までをまとめた一冊「ラブレター」が発売中です。

要出典 幡野広志 ラブレター: 写真家が妻と息子へ贈った48通の手紙

幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi