不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記「うんでも、うまずとも。」

【連載第17回 うんでも、うまずとも。】”2度とゴメン”な3度目の手術


妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載17回、2度と受けたくない3度目の掻爬手術で、一つの事実を知る。

痛みと悲しみと、怒りと

吉田けい うんでも、うまずとも

2016年9月、4度目の流産により、3度目の掻爬(そうは)手術を受けることになった。

初めての体外受精が流産という結果に終わったことで、“悲しみ”というよりも「もう自分はダメだ」「どうしても妊娠できない」という“絶望”の気持ちが強かったように思う。

でも、手術に対する怖さは、ほとんどなかった。もう3度目だから。またいつものように、気を失っている間にすべてが終わって、空っぽになっているんでしょ。

そう思っていたが、今回は、過去2度の手術を受けた中目黒Iクリニックではなく、別の病院。いつものようにはいかなかった。

手術の前に、子宮口を広げるためにラミナリアとかラミセルとかいう棒を突っ込まれたのだけど、これが、本当に、とんでもなく、痛い。思わず「イタァッ!!」と叫んでしまったほど。

看護師さんに押さえつけられている間、痛みのあまり意識が遠のく感覚と吐きそうな感覚が何度も襲ってきて、私はあの時、白目をむいてたと思う。たぶん。

ていうか、白目をむいて気絶したかった。

棒を突っ込まれたあと、病室に戻るのも膝が震えてうまく歩けなかった。ベッドに横たわり、看護師さんから手術についての説明を受け、やっと聞こえるくらいの細い声を絞り出して「ハイ」と答えるので精一杯。

流産しただけでも十分つらいのに、なんでこんなつらい想いをしなければならないんだ。どんな拷問だよコレ。打ちのめされ、目玉を動かす気力さえなく、ただ天井を見つめて、涙を流すしかなかった。

さらに、手の甲にブッスリと刺された点滴の針も痛い。痛い、悲しい、つらい……グルグルしているうちにオペ室に呼ばれた。

染色体に異常あり

オペ室に入る前、ソファが並んだ待合室のような場所で待たされた。もしかしたら、待たされたのはラミナリアとかラミセルとかいう棒を突っ込まれる前だったかもしれないけど、とにかくひとりで待たされた。

薄っぺらな手術着を着て、誰もいない待合室で。

そしたら、聞こえたのだ。「オギャーーーーーー」と。

目の前の部屋か、その隣の部屋か、その隣の隣の部屋かで生まれた赤ちゃんの声が。

思わず、自分のお腹の肉を掴んだ。あそこには元気に生まれた赤ちゃんがいるのに、ここには死んでしまった赤ちゃんがいる。

地獄の責め苦のような激痛を味わい、肉体的にも精神的にも落ちるところまで落ちたと思っていたが、底にはさらに下があった。

生まれたての赤ちゃんの泣き声はずっしりとした圧力をもって、私の頭の先から爪先までを悲しみ(なのかなんなのか、もうよく分からん)の底に押し付け、さらにズブズブと沈めていった。

そのあとは、いつもの手術と同じだったと思う。気を失っているうちに、子宮が空っぽになっていた。

いつもと違ったのは、ベッドの上で意識が戻った時、ふつふつと沸いてきた感情が怒りだったということ。

いくらなんでも配慮が足らんだろう。流産した人に産声を聞かせるなんて。もう2度と、ここで掻爬手術は受けたくない。というか、もう2度と、この病院には来たくない。

それでも1つ、得ることがあった。子宮から取り出された“赤ちゃんだったもの”を調べてもらったのだ。検査の結果、流産の原因は染色体異常だと分かった。

子どもは、父親の精子から23本、母親の卵子から23本、合計46本の染色体を譲り受ける。親の年齢が上がると、親の染色体が正常だとしても、譲り受けた染色体がうまくほぐれずに異常をきたしやすくなるのだという。

染色体に異常があるということは、身体になんらかの障害があるということ。受精して、着床して、途中まで成長したけれども、もともと生まれてくるのが困難な命だったのだという説明を受けた。

そして、母親が40歳以上になると染色体に異常をきたす確率は80〜90%にもなると。

ちょうどその時、私は40歳。健康な子どもを産むのは、まさに奇跡なんだね……。続きは第18回にて。

写真のこと:新年1発目は“あけまして”な感じの写真を。夫の実家からいただくかぼちゃは、形こそヘンだけど、味は甘くておいしい。煮付け、サラダ、マリネ、グラタン、タルト……あの手この手でいただきます。

【連載第18回 うんでも、うまずとも。】流産後の感情コントロール

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【連載第16回 うんでも、うまずとも。】新鮮胚と凍結胚盤胞

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【連載第15回 うんでも、うまずとも。】卵子って、かわいい

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吉田けい

吉田けい

よしだ けい


1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。