妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載15回、体外受精のため、卵子の採卵に挑む。
時間厳守が肝心です
生理3日目から、毎日夕食後にクロミッドを1錠飲む。毎日同じタイミングで服用するのが肝心と聞いたので、夕食の時間を20時と定め、夫の帰宅が間に合わない場合は、私だけ先に食べるようにして、とにかく規則正しく服用することを心がけた。
今日あったことを話しながら夫と夕食をとる時間が、私はとても好きなのだが、夫の帰宅はたいてい遅く、孤食が続いて寂しい気持ちになった。……が、それもまぁ仕方がない。
そして生理10日目に、エコーで卵胞の大きさを、血液でE2(卵胞)ホルモン、P4(黄体)ホルモン、LH(黄体化)ホルモンの値を調べ、すべて問題ない数値になったことを確認し、採卵の日程が決まった。
採卵は3日後。当日までの段取りも、やはりタイミングが肝心だった。
まず、採卵日が決まった日の夜に、卵子の最終的な成熟を誘起するためスプレキュアという点鼻薬を使う。それも指定された時間キッチリに。もしも指定時間に行えなかった場合は、採卵できないこともあるらしい。き、厳しい。
そして翌日、つまり採卵日前日にあたる日にクリニックに電話をして、当日の来院時間や料金などを確認。やはりここでも、「昨日は何時にスプレキュアしましたか?」と、ちゃんと聞かれる。厳しい。
そんな確認の電話以外にも、この日には重要なミッションがある。お尻に座薬を入れること、だ。
ボルタレンサポという座薬には排卵を止める作用があるとかで、十分に育った卵胞を採卵日まで卵巣内に留めておくために使用するのだと説明を受けた。
3個渡されたボルタレンサポは、それぞれをこれまた指定された時間キッチリに投入した。
そしてようやく採卵当日だ。
自分の卵子に初めて遭遇
指定された時間に、指定されたIVF受付へ行く。卵子の取り違えなどを防ぐためだろうか、私が初めて採卵を受けた2016年、Kクリニックでは手首に診察券番号と名前が書かれたテープを巻いた。夏フェスのリストバンドと同じ構造だが、こちらはなんだか重々しい。
間違ってはいけないというクリニックの気迫を感じるとともに、厳重に管理されていることを認識し、自分が機械か材料か何かになったような気さえする。そう、人間の子どもをつくるための何かに。
採卵の準備が整うまで、しばし待つ。待ち時間は日によって違うが、だいたい1時間くらい。モニターに自分の番号が表示され、行き先を「ナースセンター」と指定されると、いよいよだ。
ナースセンターで受付をすませると、「リラックスルーム」へ通される。ベッドとロッカーがずらりと並び、それぞれカーテンで仕切られた前室。「リラックス」とわざわざ名付けられたところに、これから行われる採卵が、いかにも緊張するような重大ごとであるように感じられた。
ちなみに、ナースセンターの受付でも、スプレキュアとボルタレンを投入した時間を暗唱させられる。指定された時間に遅れることなく、ちゃんとやったのか、その確認だ。やっぱり厳しい。
ピンク色の術衣に着替え、ベッドに横たわり、待つこと15分ほど。看護師さんに促され、トイレを済ませてから、さらに15分ほどベッドで待つ。そして、やっと採卵の時間がやって来る。
薄暗いオペ室の中央に置かれた手術台に上がる。両足を固定されると、「消毒します」という声とともに、何やら器具を突っ込まれ、「イテッ」と体をこわばらせると、ひんやりと液体が尻をつたう感覚があった。
「エコー入ります」「右のモニターを見ていてください」「針が刺さります」「チクっとします」。ピッピッピッピッという小気味いい音に合わせ、突き刺さった針に中身を吸われて、卵胞が小さくなっていく。
採れた卵子は3つ。
培養士さんがモニターで見せてくれた卵子は、どれもツルンとしていて、ふっくらまんまるで、なんというか、とても清らかな存在に感じられて、ものすごくかわいかった。
採れた3つの卵子はどうなるのか、続きは第16回にて。
写真のこと:海は、泳ぐより潜るより、波打際で砂と波の境目を見ているのがいい。いわゆる“女らしさ”とは程遠い自分だが、「レースのスカートみたい」と“女らしい”感想が浮かんできて、照れくさいような気持ちになるのもいい。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。