妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載16回、2回目の採卵で4度目の妊娠、そして4度目の流産、3度目の掻爬手術。
ビギナーズラッキーならず
2016年1月、40歳になった私は体外受精に踏み切った。初めての採卵で、私の卵巣から取り出された卵は3つ。受精方法は2つあって、精子を卵子に振りかける方法と、精子を卵子に針で注入する顕微授精。幸いなことに夫の精子は元気だったので、精子が自力で受精するよう促す、振りかけ法で受精することになった。
そして翌日。ちゃんと受精できたかどうか確認するため、指定された時間に指定された番号へ電話をする。電話口に出た培養士さんの言葉を待つ間、大学受験の合否発表みたいだな、と思って妙に緊張した。
3つのうち、無事に受精したのは2つ。そのうち1つをそのまま移植し、もう1つは培養を続けて胚盤胞まで成長させて凍結することになった。
凍結しない受精卵を新鮮胚と呼ぶのだが、その言葉を聞くと、どうもマグロなどの海産物の“獲れたて”と“冷凍もの”の違いが頭をよぎり、そりゃ“獲れたて”のがいいだろう、と思ってしまう。
しかし実際には、胚盤胞まで成長させた冷凍胚のほうが着床率は2倍も高いらしいのだ。
採卵から2日後に再びクリニックを訪れ、子宮へと戻された新鮮胚は「Grade2」と説明を受けた。4段階の2だ。いいのか、そうでもないのか。私には、どう判断していいのか分からなかった。
まぁ、でも、3度も自然妊娠できているんだから、着床なんて楽勝でしょ(ぜんぶ流産してしまいましたが)。正直、それくらいヨユーの心境だった。
しかし、着床はしなかった。
続いて冷凍もののほう……もとい、凍結されてクリニックに保管されたままの、私たちの大切な胚盤胞を次の周期に移植した。
胚盤胞の総合評価はDだった。5段階の4番目。妊娠率は20〜34%。あれ、これは私にも判断できる。あんまり期待できないんじゃないの?
そして、案の定、着床はしなかった。
玉ねぎの梅酢漬け効果?
初めての胚盤胞移植がダメだったと分かってすぐ、その月の排卵日付近に2回目の採卵に挑戦した。
今度は、卵は1つしか採れなかった。それでも、ちゃんと振りかけ法で、しっかりと受精してくれた。
そして胚盤胞移植。今回の総合評価は、なんとAだった。妊娠率は55〜70%とかなり高い。培養士さんからは「A判定なので期待していきましょうっ」と激励までされた。ちょ、ちょっとヤメテよ、期待しちゃうじゃないか……。
妊娠判定日。血液検査でホルモン値を確認。
βhCGが48.3だった。妊娠中のみ測定されるホルモンであるβhCGが測定された。つまり妊娠。妊娠した。妊娠したーっ!!!
体外受精で着床するなんてヨユー。そんなことを考えていたこともあったが、今回は、はっきり言って、めちゃくちゃ不安だった。なぜなら、前回で体外受精は簡単じゃないことを実感したし、バイアスピリンも飲んでいなかったから。
バイアスピリンは、採卵前にKクリニックの先生に相談して服用を止めた。「もしかしたら効果があるかも?」と始めたバイアスピリン治療だ。はじめから、血液を固める機能の数値も、飲む必要のない値だった。
でも、血液を固める機能がやや高めかもしれないという自覚はあり、血液サラサラ効果を期待して、玉ねぎの梅酢漬けをつくっては、毎日せっせと食べていた。
しかし、妊娠したとなると、バイアスピリンを飲んでいないことが急に不安になってきた。そこで、バイアスピリンを処方してくれた別の病院に行った。
胎嚢は7週で13.8mm。なんだか小さい。しかし、バイアスピリンに関しては、服用を再スタートせず、まずは様子を見ましょう、ということになった。
そして翌週。西新宿Kクリニックで妊婦健診を受けた。8週で16.8mm。小さいまま、あまり成長していない。しかも、心拍が確認されない。もしかして。
そのさらに翌週。成長停止。流産。4回目。
Kクリニックの掻爬手術は「基本的に無麻酔で行うので、見ているこっちがつらいほど痛い」と先生がおっしゃるほどなので、「大丈夫、やっちゃってください」と言えるはずもなかった。
そこで、3回目の掻爬手術は別の病院で受けることにした。受けることにしちゃった。受けることにしなければよかった。いまでも後悔している。
なぜなら。続きは第17回にて。
写真のこと:右に行ったら距離は短いけど100段ほどの急階段を一気に登らなければならない。左に行ったら景色がよくて道は緩やかだけど距離は長い。こういう岐路って人生で何度か出会うね。我が母と行ったホノルルのダイヤモンドヘッド登山にて。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。