妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載第8回、3度目の自然妊娠、2度目の稽留流産、2度目の掻爬手術。
3度目の……
生理はいつも、規則正しく、きっちり30日周期でやってくる。「来月、採卵に行こう」と決め、手帳の生理予定日から3日目に“Kクリニック受診”と書き込んだ。のだが。
「まだまだ自力で妊娠できるわい」とばかりに、私の卵子と夫の精子が本気を出した(ように思われた)。
そう、いつも規則正しくやってくる生理は訪れず、3度目の自然妊娠がやってきた。
もう、夫婦で飛び上がって喜んだ。やっぱり私たちはやればできる! 体外受精に頼らなくても大丈夫!
でも、ある言葉が頭をよぎる。
「2度あることは3度ある」
怖かった。また流産してしまうんじゃないか。
妊娠が発覚した翌日の弾き語りでは、お腹に力を入れて歌っても大丈夫だろうかと気が気ではなかった。その週末の京都出張でも、新幹線の重力がお腹に負担をかけないだろうかと心配だった。
毎日、毎時、ビクビクしながら過ごした。
そして8週目の検診で、恐れていたことが起きた。また、成長が止まっている。また、心拍が見えない。
「2度あることは3度ある」
また、流産してしまうのか……。
それでも、ほんのわずかな望みを握り締めていた。
検診の次の日も、それまでと変わらず、お腹を冷やさないように真夏の8月に腹巻を着け、葉酸をたっぷりとれるように毎朝スムージーをつくって飲んだ。
そんなある朝、アボカドと小松菜とパイナップルをミキサーにかけたスムージーを飲み込んだ瞬間、胃がチリッと痛んだ。
その後も、食事のたびにギュウッと胃が締めつけられるような痛みがあったり、歩いているときに胃がヒリヒリと痛んだりしたが、あまり気にしなかった。
食べることを体が拒んでいる
そして、再確認のための検診。
結果は、やはりというか、また、稽留流産だった。また、掻爬手術(そうは手術)を受けなければならなかった。
その検診のあとからだったと思う。食事をするたびに、思わずうずくまるほどの激痛が胃に走った。
……それはそうと、2度目の掻爬手術は慣れたものだった。手術のあとに泣きもしなかった。
ただ、胃が痛かった。
痛みは日に日に酷くなっていく。「今日は食べても大丈夫かも」とお粥を食べても盛大に吐き出した。冷えているのかもと思い、温めた豆乳を飲んだときは、胃袋が握りつぶされるように痛み、のたうちまわった。
そして、ほとんどなにも食べられていないのに、常にお腹をくだしているという、まさに胃腸がぶっ壊れた状態。
固形物はもちろんダメ。スープもダメ。豆乳もジュースもダメ。かろうじてゼリー飲料だけは大丈夫だった。
しばらくゼリー飲料で過ごして、そろそろ平気かな、とパンをかじってみては、胃痛に耐えきれず吐き出す……ということを繰り返し、さすがに辛くて胃腸科へ行った。
しかし胃カメラをしても異常なし。医師の「きれいな胃ですね」という言葉が、まるで「あなたの勘違いですよ」と聞こえる。
でも確かに間違いなく、ものすっごい痛いんです!
1軒目の病院でもらった痛み止めは効かず、2軒目の病院でもらった、さらに強力だという痛み止めも効かず、3軒目のも効かなかった。
もうこれ、食べない、という手しかないな……。
腹を括って、ゼリー飲料のみで1ヶ月過ごした。私の体はみるみるしぼんでいった。それこそ、妊娠してちょっとだけ膨らんでいた胸も急激にしぼんだ。
そうして弱り切った私は、身近な人の何気ない言葉でダメージを深める。続きは第9回にて。
写真のこと:散歩は大好き。太陽の下、動物や鳥や植物や虫の生き生きとした姿を見るのが好きだ。あと、ヘンテコな看板なども好き。「なか」か「はし」か、はっきりせんかい。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。