ー神奈川県にある、1軒の助産院ー
「おっぱいが出なくて、足りているのか不安で」「授乳、授乳で寝る暇がなくて、もう限界です」
そんな悩みを抱えて、不安と緊張で張り詰めた表情のママが、くる日もくる日も訪れます。
これは、365日、ママと一緒に悩み、喜び、涙する、ある助産院の院長、みつ先生の日記です。
【♯7】母乳の飲み過ぎは肥満になる?
悩みに「贅沢」なんてあるの?
母乳外来をやっているとね、毎日、いろいろな悩みを抱えたママがやってきます。
おっぱいにトラブルが起きてしまったり、授乳がうまくいかなかったり。その中で、もっとも多いのが”母乳が足りているか不安”という声。
でも、母乳が出すぎて悩んでしまっているママもいるんです。
今日お話しするママもその一人なの。
ここにやって来たとき、彼女の心は完全に孤立していました。彼女の悩みを理解してくれる人は誰もいなくて、健診後に相談した助産師さんからもこう言われちゃったの。
「おっぱいが出なくて悩んでいる人がこんなにいるんだから、あなたの悩みなんて贅沢でしょ?」
悩みに贅沢なんて、そんなのないよ…。みんな赤ちゃんのために悩んで、苦しんでいるのに。
予想もしていないママの言葉
ママは、生後1ヶ月過ぎの赤ちゃんを連れてやって来ました。
赤ちゃんは見るからに元気そうで、ふくふくとしていてね。でも、一方のママはなんだか浮かない表情をしていて…。
その対照的な様子は、今でもはっきりと覚えています。
「まぁ、まるまるとして元気そうな赤ちゃんね」そう声をかけると、ママは肩を震わせて泣き始めてしまったの。
「ごめんね、ママ。わたし、気に障ることを言っちゃったのよね。ごめんなさいね」と謝ると、ママは予想もしていなかったことを口にしたの。
「私が甘やかしたんです。だから…、だからこの子をこんなに太らせちゃったんです」
ママのすすり泣く声が落ち着くのを待って、「続き、聞かせてちょうだい」って声をかけたの。
おっぱいを飲ませるのが怖い…
「産院で教えてもらったとおり、なるべく3時間おきにおっぱいを飲ませてきたんです」
「それなのに、実家の母に『こんなになるまで飲ませて!ちょっと甘やかせすぎじゃないの?このまま肥満になっても知らないわよ』って言われて…」
「でも、産院で習ったとおりにしてきたんです」
「それなのに、1ヶ月健診でも『お母さん、おっぱい飲ませすぎだよ!』って」
「教わったとおりにしてきたのに…。もう、おっぱいをあげるのが怖いんです、先生」
こういう話を聞くたびに心が痛くなるの。
ママのお母さんも、健診を担当した小児科の先生も助産師さんも、自分がかけた言葉なんて覚えていないかもしれない。
でもね、ママたちは小さくて重い、自分に課せられた命を守るために必死なの。
教えられたことを必死にやり遂げようとして、そして、必死だからこそ、誰かのひと言にがんじがらめにされてしまうこともあるの。
ママと赤ちゃんの頑張りの証なのよ
「ママ、教えてもらったとおりに頑張ってきてえらかったね。赤ちゃんがおっぱいをしっかり飲めているのはいいことなの。ママと赤ちゃんが、2人で頑張ってきたんだよね」
そう言うと、ママは「そんな風に初めて言ってもらいました」と言って、顔をくしゃくしゃにしたの。
「ママ、大きく生まれた赤ちゃんはね、おっぱいを吸う力が強いことが多いの。赤ちゃんは上手におっぱいを吸えるし、ママのおっぱいもよく出ているのね。すごいことなんだよ」
ママはわたしの言葉を噛みしめながら、聞いてくれている。
ママたちは誰だって、いつだって、赤ちゃんのためにどうすることがよいのかを知りたいのだ。
だから、わたしは少しでも力になりたい。
ママの緊張がほぐれたのを確認して、わたしはママと赤ちゃんにいちばんよい方法を提案したの。
大切なのは、ママが選ぶということ
「今、左右10分・10分おっぱいをあげているのなら、7分・7分にして様子を見てみようか?赤ちゃん、とっても上手におっぱいを飲めているんだもん。もしかしたら、5分・5分でも十分かもしれないね」
「授乳」と一口に言っても、10組のママと赤ちゃんがいたら10通りの授乳があるの。
だから、ママと赤ちゃんの様子をちゃんと見て、そして、ママの希望を聞いて提案をするようにしています。
そして、これからのことを話してあげることもあります。「寝返りやはいはいができるようになると、体重の増えが落ち着いてくる子も多いのよ」って。
それにね、離乳食を始めるとおっぱいの量が落ち着いてくる子もいるの。だから、「少し早めに離乳食を開始してもいいかもね」って。
これまで見てきた赤ちゃんとママの話を織り混ぜながらいくつか方法を提案して、最終的にはママに選んでもらうようにしています。
だって、育児に正解はないんだもの。
それに、一人として同じ赤ちゃんもママもいないんだもの。
だったら、ママが納得できて、ママが笑顔で育児ができる方法を選ぶのがいちばんいいでしょ?
佐藤みつ
さとう みつ
1979年 神奈川県立衛生看護専門学校助産師科卒業。大学病院・個人病院での勤務、自治体の新生児訪問などを経て、「ママが気軽に立ち寄れる場所を作ってあげたい」という気持ちから、1993年に助産院「マタニティハウスSATO」を開業。分娩やおっぱいマッサージ、ベビーマッサージなどを行っています。「昔、取り上げた子がママになって、その子がお産をしに来てくれるなんて幸せでしょ?」
佐藤みつ
さとう・みつ