妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載33回、”バケーション”を経て、10回目の採卵に挑む。
手術 のち バケーション
流産手術のあとは、恒例の避妊生活。
手術では、掻き出したり吸い出したりして子宮のなかをスッカラカンにするので、やはり子宮内膜が薄くなってしまうのだそう。
そんな状態で着床しても、妊娠が継続するのは難しいらしく、3回目の生理がくるまでは避妊してください、と病院から言われるのだ。
「なんのために生きてるんだっけ」
そんな疑問さえ浮かんでしまうほど、どっぷりと絶望という名の淵に溺れてしまう流産後ではあるけれど、私はこの避妊生活期間を“バケーション”と呼びたい。
妊娠しなくてもいい。
体外受精のためにスケジュールを空けておくため、仕事やライブのオファーを断らなくていい。
ライブでは、なーんにも気にせず思いっきり歌ってもいい。踊ってもいい。夜遊びしてもいい。ジャンクフードを食べてもいい。出張にも旅行に行ってもいい。
妊活は、おやすみ。
だから“バケーション”。
もはやヤケクソみたいな気持ちだけれど。
そこで、第6回目のバケーションは、母と妹と弟を連れて、夫とハワイに行ってきた。
海外初体験の母。
パーキンソン病を患っているため、歩いたり、食べたり、体を動かすことが不自由で、動きもゆっくりだけれども、誰よりも歩きたがり、誰よりも食べたがり、思い切りハワイを満喫していた。
親孝行できたと、心から実感。えがった。
バンド活動においても、東京でのライブに加えて神戸や仙台にまで遠征したほか、別のバンドを結成して一夜限りのライブをしたりもした。
仕事では、LGBTQに関する書籍を企画し、その執筆や編集作業に全力投球した。
てな感じで、そうこうしている間に3回目の生理がやってきて、バケーションは終了。
さあ、あともう少しだけ体外受精にトライしてみようかな。
ママ友になるはずだったのに
手術から数えて3回目の生理の3日目に、体外受精の計画を立てるために西新宿Kクリニックへ行った。
子宮内部をチェック。
なかもキレイで、順調に回復しているとのこと。
凍結したままの胚盤胞を、今周期に移植することも可能だったけれど、「卵子は1週間でも1ヶ月でも若いうちに採っておいたほうがいい」とのアドバイスをネットで見かけ、今回は採卵することにした。
採卵を翌日に控えた2018年の年末。
友人たちとの忘年会に参加した。
10人ほどの友人のなかに、2人の妊婦がいた。
そのうちの1人は、私の妊娠が発覚した7月頃に、妊娠の報告をしてくれて、同い歳の子どもをもつ仲間になるはずだった友人だった。
彼女のお腹は、もうすでにパンパンに膨らんでいた。
私のお腹にいた子も、順調に育ってたら、こんなに大きくなってたのか……と、複雑な気持ちを押し殺しながら、そっと彼女のお腹を撫でた。
あったかくて、ふかふかしてて……。ちょっとでも油断したら、目から涙が落っこちそうだった。
私もいつか。
メソメソしそうな気持ちを翌日へのやる気に変換して、採卵にのぞんだ。
そのやる気のおかげか、10回目の採卵で採れた卵は2個とも受精に成功。でも、1個は途中で成長が止まってしまって、凍結はできなかった。
2018年4月に採卵したぶんと合わせて、2個の胚盤胞を凍結。
よっしゃ、移植するで! と意気込んで、移植前のホルモン値と卵胞内膜評価のため、再びKクリニックへ。
しかし、内診室でモニターを見ていると、先生がナニやら卵胞ではないところのサイズを測っている……。
先生、それナニ??
答えは、診察室に入った途端に分かった。
「子宮ポリープがあります」
続きは第34回にて。
写真のこと:急に思い立って、しばらくシカゴに滞在中です。大通りの花壇に植えられた紫陽花が満開なのだけど、紫や水色はひとつもなくて、どれも真っ白なので、なんでだろうと思って調べたら、アナベルという北米原産の品種でした。なるほど。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。