【連載第1回 うんでも、うまずとも。】私の流産カウンター


妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。治療しようがないまま現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そして、体外受精を繰り返すなかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。
吉田けい 連載

6回目の流産

「心臓が動いてないですね」という医師の言葉に、ザザーッと音を立てて全身から血の気が引いた。見間違いじゃないですか? その機械、壊れていませんか?


私は今日、体外受精を受けたこの病院を卒業するはずだった。9回目の採卵、9回目の移植、6回目の妊娠、今度こそ、今度こそは。

母体第一で仕事も音楽活動も控えなくちゃな、次号の企画出しは早めにしといたほうがいいな、神戸遠征ライブでまた重い電子オルガンを運んでも大丈夫かなぁ。すべてが杞憂に終わった。

ああ、良かった。気兼ねなく全力で働けるし歌える。ヨッシャ、明日からまた頑張ろう! やったるで、私は!! ……などと、ズキズキ痛む胸の傷口を見ないふりして強がるのも、もう6回目。そうか、もう6回目の流産なのだね。

さすがに、私の子宮で命が育つ自信は、もうない。私が“子どもをうんで、母になる”のは、もう無理だろう。不妊治療をやめるという選択肢が目の前に差し出された。


いやでもちょっと待って。採卵と移植が9回という数字はキリが悪い。10回目までやらせてよ。そしたら、スッパリと、パッキリと、やめるから。


40歳から始めた不妊治療。タイミング法や人工授精など、段階に応じた治療法があるなかで、私は年齢を考えて一足飛びで、最終手段だと思われる体外受精に踏み切った。

そして2年間、いい結果が得られないまま、出産できる保証もなく、やめ時も分からず、まるでゴールのないマラソンを目隠しして走っているような不安を抱えて、体外受精の専門院に通った。

でも今、自分でゴールをつくった。あと1回。それで不妊治療はやめる。そう思うと、急に目の前が開けた気がした。あとちょっとだけ、ゴールまで走ろう。

そんな風に前向きになれたのは、養子縁組という“うまずとも母になる”選択肢があったから。私は、たぶん、いつか、きっと母になれるはずだから。

……さて。前向きに走り出したところで、ぐるりと180°後ろを向いて過去を振り返ってみてよろしいでしょうか。不妊治療と養親になるための準備を同時に進めてきた私の、これまでをお話ししたいと思います。行動と気持ちの記録を紐解くことで、私の脳内整理を行うとともに、誰かのなにかのヒントになればと。

「やべー、妊娠してたー」

私が初めて妊娠したのは34歳の時。同棲していた夫との入籍を数ヶ月後に控えていた頃だった。

なんだか今月は珍しく生理が遅れてるなぁと向かったのは、住んでいたアパートの3軒隣にあったレディースクリニック。「妊娠してますね」と言われた時、正直、私は苦笑いしていたと思う。

まず頭に浮かんだのが「順序間違った!」だった。結婚が先だろ、と。妊娠して、うれしい気持ちと恥ずかしい気持ちが入り混じり、クリニックを出てすぐ、夫に「やべー、どーしよー、妊娠してたー」とメールした。夫の反応も「やったーっ」ではなく「親に、なんて言おうか?」だった。

その日の夜は、自分たちが親になることを想像してそわそわしながら、このアパートで子育てできるかなとか、名前はなにがいいかなとか、ふたりで話し合った。

なにより気がかりだったのは、親が喜んでくれるかどうか。そわそわしながらも、とりあえずは、もう少し様子を見てから報告しようということになった。

でも、考えていた“もう少し”を待たず、妊娠発覚の3日後に事態は急変した。腹痛ののち、出血。すぐに3軒隣に走った。予想通り、流産していた。

「まだ胎嚢も見えないくらいだったから、普通は気付かずに生理だと思っちゃうほど早すぎる流産だよ。流産とも言えないくらい。だから今回のことは気にしないで、次がんばろうね」

おじいちゃん先生の落ち着いた声が、ゆっくりと耳から脳に伝わり、流産したことを理解した途端に、目からこぼれるように涙が落ちた。先生は言った。流産とも言えないと。

でも、私の流産カウンターがカチッと音をたて、「1」を表示した。

それでもどこか私はホッとしていた。順番を間違わずに済んだから。私の体が妊娠できることを証明できたから。結婚して、落ち着いたら、良きタイミングで妊娠すればいいってことよね、と高を括った。

そんな、あの頃の私に言ってやりたい。「あんた、妊娠できても出産はなかなかできませんよ! ぜんぜんホッとしている場合じゃないですからね!!」と。

しかし、あの頃の私は、そんなことなど露知らず、その後、ある事情により、あまつさえ避妊を心がけるようになってしまう。あぁ、もう、本当に、あの頃の私に言ってやりたい!! そのコンドームを取れと!

やきもきしながら、続きは第2回にて。

写真のこと:出張で会津若松へ訪れた際に、居酒屋のおばちゃんにもらった起き上がり小法師。「私らは震災から起き上がったから、今度はあんたが」という言葉を思い出しながら、たまに指で弾き倒したりしている。


吉田けい

吉田けい




1976年、大阪府生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。現在は不妊治療を継続しながら、養子縁組を目指す待機養親としても登録中。

【連載第4回 うんでも、うまずとも。】 にくいよ、マタニティマーク!

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【連載第3回 うんでも、うまずとも。】 はじめての掻爬手術

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