不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記「うんでも、うまずとも。」

【連載第2回 うんでも、うまずとも。】子づくり、ナメんじゃねえ!


妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。第2回は稽留流産について。
吉田けい 連載

巣づくり子づくり準備万端

初めて流産してしまった34歳の私は、あろうことか避妊生活を始めてしまう。その理由は2つある。1つは、フリーランスの編集者になったばかりで軌道に乗るまでは仕事に集中したかったから。もう1つは、自分のバンドのファーストアルバムのレコーディングと発売記念ツアーを控えていたから。

いつも通りに夫と仲良くしてたら、またうっかり妊娠してしまう。一度は妊娠できたんだから、とりあえずは1年くらい避妊して、仕事とツアーの波が去ったら、また子づくりを再開したらいいよね。


馬鹿野郎! 子づくり、ナメんじゃねえ!!!

そんな42歳現在の私の声など届くはずもなく。自宅のベッドの枕元に置いた小箱にはコンドームを常備し、ラブラブで子づくりに励むべき新婚旅行にもコンドームを持って行った。……ばかやろう。

その避妊生活のおかげで、仕事もバンドもバリバリこなすことができ、出版社や企業から定期的に執筆の依頼をいただけるようになり、バンドのファーストアルバムも無事に発売し、ツアーもファイナルを迎えた。

さて、そろそろ子づくりを再開しましょうかね。ようやくそう考えたのは、避妊生活を始めてから、やはりちょうど1年後のことだった。

子どもが生まれてからのことを考えて、中古マンションを買ってリノベーションもした。もちろん、子ども部屋もつくった。子どもが生まれて取材や打ち合わせに出られなくなってからのことを考えて、自宅でパン教室を開けるようにと製菓学校にも通い出した。しかも子どもに安心して食べさせられる天然酵母のパンの。

しかし、妊娠する気配はまったくない。

試しに基礎体温表をつけ始める。低温期と高温期、折れ線グラフはキレイに2層になっていた。生理は毎月ピッタリ30日でやってくる。なのに、なんで?

もちろん、コンドームはすべて捨てた。夫とは、仲良くしていた。ものすごーく仲良くしていた。セックスレスに関する書籍で、“セックスフルな夫婦”として取材を受け、仲良くセックスフルでいる秘訣などをしゃあしゃあと語っていたくらいだ。

なのに、妊娠しない。あれ、妊娠ってこんなに難しかったんだっけ。

生理予定日の前日になると妊娠検査薬を握りしめ、トイレにこもった。しかし陰性。便座に深く腰掛けたまま、また駄目だったと肩を落とし、うな垂れる。それが何ヶ月も続いた。

まだあったかい妊娠検査薬

そして2013年2月。忘れもしないニャンニャンニャンの日。2月22日の朝、妊娠検査薬が初めて陽性反応を示した。

いやったぁーーーっ! 大声で叫んだ私は、まだちょっとあったかい妊娠検査薬を持って寝室に駆け込み、夫の目の前に差し出した。

やったぁ、やったぁ、やったぁ。あんなに「やったぁ」を連発したことはなかった。夫婦で、やっと勝ち取った「やったぁ」だった。

しかし、それはかねてより計画していた台湾旅行の出発の前日のこと。予定通りに行くべきか、行かざるべきか。それが問題だ。1日中唸りながら悩んだ末に、行くことに決めた。台湾では、よく食べてよく遊び、体調もすこぶる良好だった。

そして帰国してすぐ産婦人科に行き、初診を受けた。生まれて初めて胎嚢を見た。妊娠5週目だった。

それからは、ベビ待ちアプリで自分の子宮の状態を1日に何度も確認し、少しでも気づいたことがあったらメモしていた。これから膨らんでくるだろう胸と腹の比較対象として、悲しいくらいにペッタンコな今の状態も、夫に撮影してもらったりもしていた。

そして、待ちに待った2週間後の検診。順調であれば心拍が確認されるはずだった。胎嚢は大きくなっている。でも心拍がモニターに映し出されない。1週間後に、もう1度見てみることになったが、私は気が気ではなかった。

次の検診までの1週間。「7週」「心拍見えない」をインターネットで何度も検索して、情報を集めた。9週でやっと心拍が確認できた人もいたし、そのまま胎嚢の成長が止まった人もいた。

いくら調べても、ネットに答えはなかった。でも、調べることを止められなかった。私の赤ちゃんは大丈夫だと、どこかに書いてあるはずだと信じたかった。

1週間後、やはり心拍は確認できなかった。もしかしたら、奇跡が起こるかも。もう1週間、待ってみたが駄目だった。診断は稽留流産。子宮内をリセットする掻爬手術を受けることになった。

どんよりした気持ちで、続きは第3回にて。

写真のこと:我が家の寝室は東向き。窓からの景色を眺めるのが好きだ。なかでもお気に入りなのが、白い雲を浮かべた青空を背景に、赤と白の太短い鉄塔がスックと立つ景色。ハツラツとした気分になる。

【連載第4回 うんでも、うまずとも。】 にくいよ、マタニティマーク!

【連載第4回 うんでも、うまずとも。】 にくいよ、マタニティマーク!


【連載第3回 うんでも、うまずとも。】 はじめての掻爬手術

【連載第3回 うんでも、うまずとも。】 はじめての掻爬手術


【連載第1回 うんでも、うまずとも。】私の流産カウンター

【連載第1回 うんでも、うまずとも。】私の流産カウンター



吉田けい

吉田けい

よしだ けい


1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。