妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載第4回は、掻爬手術を終えたあとの日々。
そばかすが消え去ったら
掻爬手術を終え、麻酔が切れて間もないフワフワした体で、私が向かったのは美容皮膚科だった。
そうだ、そばかすを取ろう。沈みきった気分をスッキリさせたいという考えが出した結論がソレだった。顔がスッキリしたら気分もスッキリするだろう。そんな風に考えたのだと思う。
鼻と頰にポツポツと散りばめられたそばかすに、レーザーを照射させて焼き取る。照射するたび、バチッと輪ゴムで弾かれたような痛みが走るのだが、目の近くは特に痛くて、どうにもこうにも涙が滲んでくる。
照射し終わったあと、涙で顔がグッショグショだったらしく、「あらあら」という感じで助手の女性がティッシュで優しく拭き取ってくれた。情けないやらうれしいやらで、なんか知らんが、余計に涙が出た。
かくして。気分はスッキリしたかというと、これがもう、まったくスッキリしなかった。
まぁ、顔だって、レーザーで焼かれたそばかすが黒く点々と残ったままなので、スッキリするどころか余計にそばかすが目立つような状態で、そりゃそうだろうと言われればそうなのだけど。
その点々は1週間も経てば、かさぶたのようにポロポロと取れるとのことだったが、やはり、そばかすがなくなったくらいでスッキリするほど、私の心の黒ずみは簡単に取れるもんじゃなかった。
鬼女のごとき形相で
それから心の黒ずみは、時に悲しみとなり、時に憎しみや妬みとなって私に襲いかかってきた。
打ち合わせのため、駅に向かう途中、ベビーカーを押すママさんたちを足早に追い越す。あの人たちの、幸せそうな顔を見たくなかった。
私が奪われたものを手に入れた人たちが羨ましくて羨ましくて、駅のホームで涙が止まらないこともあった。
電車の中で、前の座席に座る女性のバッグにぶら下げられたマタニティマーク。自慢げに、これ見よがしに、周囲への主張をやめない、憎らしいもの。
きっと、知らない誰かのマタニティマークを見ていた私は鬼女のごとき形相をしていただろうな、と思う。あの頃の私は、心が黒すぎて、自分でも怖い。でも、どうにもならなくて……すみませんでした。
とにかく、街で妊婦を見ても、子連れファミリーを見ても、SNSで大放出される我が子自慢投稿を見ても、心がグッサグサに切り裂かれ、その傷口から黒い感情がものすごい勢いで溢れ出して、前を向こうとする私の視界を覆い隠した。
そんな風に、完全にグラグラしていた私の情緒が、少しずつ安定していったのは、たぶん夫のおかげだったのだと思う。
私を無理に励ますようなことは言わない。めそめそと一緒に泣くこともしない。掻爬手術から帰ってきた日も、「おつかれさま」と抱きしめてくれただけ。
あと、「そばかす、好きだったのに、もったいない」と、黒い点々が残る私の顔をじっと見つめ、頭を撫でてくれただけ。
でもそれが、とてもあったかで、心が安らいだ。ありがとう。大好きだ、夫。
そばかすも取れ、スッキリした顔で、続きは第5回にて。
写真のこと:取材に出かけた先で出会った、やせっぽち猫。通りかかったおばちゃんの話では、乳がん手術を受けたばかりらしい。がんばったね。元気になれよ。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。