僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

いま生きていてほんと良かった|幡野広志「ラブレター」第45回

今日は気楽に生きよう

コピーライト 幡野広志
八王子には山梨の風が吹いているので都心にでると暑いけど、八王子に帰ってくると寒くなる11月になった。毎年11月になると気分が落ちる。誰かといるときは大丈夫だけど、一人でいるときは不安で押しつぶされそうになるときもある。自分ががんであることがわかったのが11月だった。

腫瘍が骨を溶かす痛みで眠れず、下半身に力が入らなくなりよく転倒していた。昨日まで足が20cmぐらい上がったのに、今日は昨日よりも上がらなくなる。日に日に足が動かなくなり、12月には車椅子に乗っていた。人生で経験したことがない恐怖だった。

そのたった一年前は山で鹿を獲ってくるぐらいには体力もあって健康だった。息子も産まれたばかりで、交友関係も広くて多趣味。フリーランスでやってる仕事も順調で、幸いな事に若い頃に憧れていたライフスタイルを描くことができていた。それが病気によって一気にほぼ全部崩れてしまった。

足の小指をタンスの角にぶつけたような激痛が常にあって、下半身が動かない上に長くは生きられない病気なのだから、比喩じゃなく本当に死にたくなる。

夏は安全のために自宅に実弾は保管しないけど、冬の猟期に合わせて散弾銃の実弾を購入したばかりだった。もしも家にあったのが散弾銃ではなく、拳銃のような簡単に自分の頭を狙いやすい道具だったら死んでたかもしれない。

散弾銃で自分の体を狙うのはめんどくさい。銃口から引き金までが長いので、足の指で引き金を引くようになる。幸か不幸か足は動かないし、ぼくはめんどくさがり屋だ。

治療のおかげでいまは痛みはない。リハビリのおかげで杖も使わずに健常者と変わらず歩くことができる。あたらしい趣味を見つけて、交友関係や仕事のスタイルも大きく変えた。ワイルドなアウトドアから病弱なシティーボーイにライフスタイルをガラリと変えた。

失ったものがたくさんあるけど、あたらしく手に入れたものがたくさんあるので、わりと充実した病弱なシティーボーイライフを描いている。でもそれは治療のおかげなのだ、そして治療にはいつか限界が来るのだ。頭痛薬だって服用し続ければ効かなくなる。治療の限界が来たときに、きっとまたたくさんのことを失うだろう。

山梨で冷やされた冷たい風を吸い込むたびに、未来への不安と過去の恐怖が同時に襲ってくる。11月はなかなか気分が落ちてしまう。病気になって今年の11月で4年になる。それなりに対処法も編み出した。それは気にしないということだ。

明日死ぬとおもって今日を一生懸命に生きろ、みたいな言葉がある。あれは健康な人にはいいのかもしれない。明日もきっと生きてるから、今日は気楽に生きようと自分に言い聞かせている。この病人ライフハックの方が落ち込んだときはずっと楽になる。

今年の11月は例年とは気分がちょっと違う。息子が七五三なのだ。生きることの目標であった息子の七五三をクリアできた。息子の七五三の写真を撮るのが一つの目標だった。本当なら息子のお祝いなのだけど、こっそりと自分で自分を祝っている。

ジャイアントポッキーの方が良かったね

コピーライト 幡野広志

きっとキミも11月はキツいとおもうんですよ。がん患者さんの家族って第二の患者っていわれるほど大変なんだって。ぼくは第一患者だから第二患者さんのツラさは分からないのだけど、11月からクリスマスぐらいにかけてはいろいろと思い出しちゃうよね。

お互いに隠した涙みたいなものがあるとおもうんだけど、これはきっと隠して正解だろうね。ぼくがメソメソして泣けば、そのあとぼくはスッキリするかもしれないけど、その涙がキミや優くんに注がれてキミたちが辛くなるような気がする。おなじ理由でキミに泣かれるのもたぶん辛い。

がんというのは残念ながら家庭を巻き込む病気です。個人個人の辛さのキャパシティを解消しても、家庭全体の辛さのキャパシティを解消できなきゃあんまり意味ないんだよね。これを解決できるいい病人ライフハックは死ぬまでに考えておきます。

人の子の成長は早いっていうけど、自分の子の成長も早いよね。もう七五三ですよ。千歳飴を買ったんだけど、優くんって飴たべないよね。いま気づいたけど千歳飴じゃなくてジャイアントポッキーの方が良かったね。ポッキーの親分みたいのがあるのよ。

昔は子どもの死亡率が高いから七五三の節目を祝って、長寿やしあわせを願ったわけなんだけど、うちはお父さんの死亡率が高くなっちゃったからキミと優くんからすれば本末転倒な感じなんだけど、優くんの七五三でついでにこっそりぼくのことも祝ってください。

病気になってからたくさんのものを失ったけど、夫婦関係を失わなくて本当に良かったよ。キミが平穏だからぼくも平穏でいられます。そしていま生きていてほんと良かったよ。次の優くんの節目は小学校入学なので、ぼくの次の目標は小学校入学の写真を撮ることです。約束はできないけど、撮れたら撮るよ。

また書きます。

コピーライト 幡野広志
ありがとう、宝物にするよ。|幡野広志「ラブレター」第44回

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優しい涙。|幡野広志 連載「ラブレター」第3回

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幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi