2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、2歳の息子と妻をもつ35歳の一人の写真家による、妻へのラブレターである。
生きている人の特権。
肺炎と敗血症になってしまい緊急入院することになり、クリスマスも年末年始を病院ですごした。
肺炎が原因で命を落としてしまう人がいるのも納得の苦しさだった。
入院したときはぼくも死ぬかとおもったけど、たまたま生きている。
ぼくは食べたことがないものを食べるのが好きだし、行ったことがない場所に行くのが好きだ。
知らないことを知るのが好きな性格なんだとおもう。
肺炎になってはじめて、肺炎の苦しさを知った。
とても苦しいのだけど、ちょっとだけたのしかったりもする。
“そっか、肺炎ってこんなに苦しいんだ。”と知らないことを知ってよろこんでいる。
血液ガンの確定診断を受けて1年がたつ。
“そっか、ガンになるとこうなるんだ。”と知らない世界を知り、1年間たのしむことができた。
どこか他人事のように考えてしまうのだけど、現実逃避とかそういうことではなく、どんな状況でも知らないことを知れるのがぼくはたのしいのだ。
ガン患者2年目の今年も後輩に先輩風を吹かすことなく、知らないことを知ってたのしくいきたい。
知らないことを知れるということも、たのしむということも、生きている人の特権だとおもう。
キッチンから君の声を聞いて
クリスマスとお正月を家族ですごせなくて、ごめん。
まさか2年連続でクリスマスと正月を入院ですごすとは、ぼくもおもわなかった。
夜間救急で病院にきたときに、医師からこのまま死ぬ可能性があることを告げられたけど、ぼくも君も冷静だったよね。
このガン患者1年目で知ったことの一つが、ぼくが冷静さを保てば君も冷静でいるということです。
ぼくが冷静さを失うと、やっぱり君も冷静さを失ってしまいます。
夫婦で冷静さを失ったとき、優くんにいい影響を与えるとはおもえません。
君が冷静でいれば優くんは不安を感じないでいられるとおもいます。
だから、ぼくの笑顔が優くんの笑顔につながっているように感じます。
ただ、こんかいもし肺炎で死んでいたらどうだったのだろう…。
ぼくという糸が切れたときに、君が崩れてしまうのではないかと不安を感じました。
でも、起きるか起きないかわからない問題を心配してもしかたないし、ぼくはぼくでやれることは、一生懸命にやったつもりなのです。
もしも問題が起きたとしても、そこは自分で乗り越えてください。
君のことを信じていますし、そもそも自分が死んだあとのことを心配してもしかたないです。
ぼくが好き勝手に生きたように、優くんも好き勝手に生きるでしょう。
もしも死んだとしても“死んだあとってこうなるんだ。”とぼくはいつもの調子で知らない世界を知り、たのしんでいるとおもいます。
だから多分、君と優くんのことをあの世から見守るということもしないとおもいます。
だいたい、死んだ父親や夫がずっと見てるって、考えたらすこし迷惑でしょう。
ぼくが退院して、優くんもうれしそうです。
優くんがキッチンからもってきた茹でじかん3分の乾燥パスタで一緒に遊んでいるとき、
キッチンから乾燥パスタを探す君の声を聞いて、生きていてよかったとおもいました。
また書きます。
幡野広志
はたの・ひろし
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi