僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

大切なのは、厳しさより強さを教えること|幡野広志「ラブレター」第33回


2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、4歳の息子と妻をもつ37歳の一人の写真家による、妻へのラブレター。

お菓子もゲームも、好きなときに好きなだけ

コピーライト 幡野広志
うちの子育ては他所様とくらべると、たぶんとても甘い。

たとえば食事は好きなものばかり食べさせている。夜ごはんは何がいい?と毎朝息子に質問をすると、いつも即答で答えてくれるのでとてもありがたい。悩むこともなければ、なんでもいいよなんて答えも返ってこない。

嫌いなものを無理やり食べさせても余計に嫌いになりそうだし、好きなものを自らすすんで食べてくれる方が親としては楽だ。だいたい、ぼくだって妻だって好きなものしか食べていない。

息子がほしがるものは渋ることもディスることもなくほぼ買っている。さすがにレクサスがほしいっていわれたら困るので、そこはうまくコントロールしているつもりだ。

お菓子なんかはなんでも買っている。息子の手の届く棚のいちばん下の引き出しにお菓子を入れて、息子に管理させている。食事前とおやすみ前の歯磨き後いがいは、いつでも好きなタイミングで好きなお菓子を食べていいことにしている。

息子からすればお菓子はいつでも入手が可能で、ほぼいつでも食べることができるので、お菓子に執着するということをまったくしない。それどころか元ZOZOの前澤さんのように、お菓子を人に配るようになった。ニンテンドースイッチもiPadも好きなときに好きなだけやらせるけど、やはり執着をしない。

ぼくは息子に手をあげたことは一度もない。子どもがいうことを聞かないときは、ガツンと殴るのが正しいみたいな空気があるけど、ぼくは殴らない。

自分と意見が違う人や理解ができていない人に、こちらのいうことを聞かせるために殴るということをぼくが息子にすれば、息子は将来おなじことを誰かにやってしまうような気がする。大人としての手本を示しているつもりだ。

うちの子育てはきっと甘いのだ、でも甘くていいとおもっている。ぼくが育った子ども時代はいまよりも厳しかった。こんなことをいえばさらに年齢が上の世代に「オレたちの方が厳しかったゾ」なんて声が聞こえきそうだ。

厳しく育てられたぼくたちが大人になり社会の一員になったいま、社会は優しいだろうか?ぼくはただの厳しい社会であるような気がする。

他人に不寛容で自業自得が常識の社会だ。ちょっとでも不満があれば日本から出ていけ、なんてこともいわれたりする。すこしでも不満をいえば、だったら出て行きなさいって子どもにいいだす、忍耐力のない大人のようだ。

厳しい社会だからと、厳しさを子どもに叩き込めば、その子どもが厳しい社会を形成する大人になって、厳しさの再生産をしているような気がしてならない。再生産なんて最近知ったような言葉を使ったけど、ようは厳しさが悪循環しているような気がする。

しょっぱい大人にならないために

コピーライト 幡野広志
「お金持ち=性格が悪い」みたいな図式がひとむかしまえにあったんだけど、大人になってぼくが感じることは、金銭的にゆとりがある人ほど性格がいい傾向にあるということです。

すこし前のドラマや漫画で描かれるお金持ちって悪の化身みたいな描き方だけど、実際はそんなことありません。そして貧乏が美しいみたいな描かれかたもしているけど、それが正しいともおもいません。

「イケメンや美人=性格が悪い」みたいな図式もあったりするけど、これだってそんなことはありません。ブサイクで性格が悪い人は山ほどいます。

この図式はなぐさめや、妬みやウサばらしなのかもしれないけど、性格の悪さにお金がおおいとかすくないとか、ルックスがどうだとかはきっとあんまり関係なくて、不満を抱えている人の性格が悪くなりやすいってことだとぼくはおもいます。

うちが砂糖みたいにあまーい子育てをしていることで「そんなんじゃ、あまったれた大人になるよ」なんて根拠のうっすい図式をお節介に講義してくる人がいるかもしれないけど、岩塩の意見なので気にしなくていいです。

「そんなんじゃ、しょっぱい大人になるよ」って心の中でいいかえしてあげましょう。ムカついていたら語尾に「あなたみたいにね」とつけくわえましょう。

でも実際に厳しい人がおおい、塩分過多な社会だとおもいます。だからといってぼくたちが優くんにたいして厳しさを与える必要はなくて、大切なのは強さを教えることだとぼくはおもいます。厳しさに耐えたり、受け流したりときには反撃することができる強さです。

ぼくはいままでに厳しさをそれなりに経験しました。いま振り返ってみると、厳しさを与えてきた人は、みんな弱い人たちでした。ぼくは病気になってからいろんな人に助けてもらったけど、助けてくれた人というのは、みんな優しくて強い人たちでした。

優しくて強い人と厳しくて弱い人ってけっこう雲泥の差です。優しくて強い人が社会にたくさんいたら、厳しい社会ではなくて優しい社会になるとぼくはおもうんです。

また書きます。

コピーライト 幡野広志
我が子がいじめの加害者になる可能性|幡野広志「ラブレター」第32回

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ぼくの憲法にしていること。|幡野広志 連載「ラブレター」第21回

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幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi