僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

だからいいのよ、本当に。|幡野広志「ラブレター」第48回

スズメバチの大群よりヒグマの方がマシだった

コピーライト 幡野広志

東京で雪が積もった日に足の指を骨折した。ゴロゴロと痛みに悶えているとなんだか熱っぽさもある。検温してみると38.5℃とやや高い。ネットで検索すると骨折で発熱することあるそうだ。どう考えても38.5℃は高いやろって思いながらも自分を納得させていると、ひどい咳もでてきた。

心のどこかで『これはコロナかも?』と疑いつつも、いやきっとそうじゃない骨折の熱だと正常性バイアスが正常に作動している。だけどどう考えても何かしらの感染症だ。感染症はどっからかウイルスや細菌をもらっているわけだ。つまり世間で流行しているものにかかりやすい。

新型コロナウイルスの可能性がある。徐々に正常性バイアスが解除していく。2回のPCR検査と抗原検査をした結果は陰性だった。肺のレントゲンも撮ったけど、非喫煙者なのでキレイなピンク色だ。たぶん。

新型コロナウイルスは健康な30代なら軽症ですむのかもしれない。だけど血液がん患者との相性はめっぽう悪い。昨年の10月にアメリカのパウエル元国務長官も新型コロナで亡くなっている。高齢ということもあるが、パウエル元国務長官はぼくと同じ多発性骨髄腫の患者だった。とてもショックなニュースだった。

新型コロナウイルスが怖いか?と聞かれれば、ぼくは怖くないというのが本音だった。感染対策でインフルエンザやほかの感染症が激減したため、コロナ禍になって一度も体調を崩すことがなかった。それまでは一度風邪をひけば2週間は体調不良が続き、それが年に何回もある。健康な頃は数年に一度程度しか風邪をひかなかったし、風邪をひいても2日あれば回復していた。

例えるならば街からスズメバチの大群がいなくなって、ポツリポツリとヒグマが徘徊するような感覚だ。ヒグマと出会ったらかなりヤバいけど、スズメバチの大群がいなくなったメリットは絶大だった。スズメバチでも死にかねないのだから、コロナ禍で死亡リスクが下がったと感じた。

それがオミクロン株の蔓延によって状況が変化した。いままでは知り合いの知り合いぐらいの距離感の人が感染をしていたけど、オミクロンになって直接の知り合いも感染し、妻や息子の周囲でも感染者がでている。野犬の群れが街にでてきたような感覚だ。

だからといって本気で感染症対策をするならば、そもそもぼくは妻と息子と一緒には住めない。外出も外食もできないし、生牡蠣だって食べられない。それを望むかと聞かれれば、ぼくは望まない。リスクをとって充実した生活というメリットを享受している。もちろんこれは人それぞれだろう。そしていまこう思っていても、いざ本当に新型コロナに感染をすれば前言撤回をしたくなるほど苦しむことになるだろう。

それでも家族と一緒に笑いながらごはんを食べてきた時間は、苦しむ対価としてはお釣りがくるほど豊かなものだ。社会の変化にこちらが上手く対応をしていくことしかできない。いままで通り、コロナ禍前からしている感染症対策をするしかない。それでもこれはもう、遅かれ早かれの問題だ。

これは黒ひげの最後の一本の剣みたいなもん

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久々に体調を崩してご心配をかけましたが、もう大丈夫です。コロナ禍になって「大事な家族に感染させないで守ろう」みたいな言葉が流行ったけど、あれはもちろんその通りなんだろうけど、君や優くんにとっては結構なプレッシャーというか、もしも君たちからぼくが感染をして、それでぼくがぽっくりと死んじゃったら結構な呪いの言葉になるよね。

きっとすんごい後悔するんじゃないかな。実際そういう人もいると思います。逆の立場で考えてみれば立ち直れないほど後悔をするような気がする。だからね、気にしないでいいんですよ。いいじゃないですか、君と優くんから感染をするなら。いいよっていうかもう仕方がないし、ぼくはもうそれを前提にしています。

逆の立場で考えてみてくださいよ、ぼくが君と優くんから感染をして、もしも死んだとして、ぼくが後悔したり怒ると思いますか?立ち直れないほどの後悔を望むと思いますか?

後悔なんかしてないでサラッと切り替えて、君と優くんは人生をたのしんで生きてよ。ぼくは後悔をしないようにいまを生きています。だからいいのよ、本当に。命日に思い出し笑いするぐらいでいいじゃないですか。

ぼくが誰かと会ったり、どこかに旅にいって感染をしたとして君だって別に怒らないでしょう。これは黒ひげ危機一発の最後の一本の剣みたいなもんだよ。ゲームの趣旨とは違うけど最後の一本に意味はないよ。それまでにたくさん剣を刺してリスクをとって、充実した病人ライフを送っています。

こういうことって悲しみに暮れているときに第三者から言われても、耳には入らないだろうし、なんなら後悔を植えつけてくるようなホームラン級のアホもいると思うんです。だから事前に黒ひげ本人がはっきりと言っておくけど、いいのよ君と優くんから感染しちゃっても。

また書きます。

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『くだらないもの買って』と言わないきみが|幡野広志「ラブレター」第47回

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だから、しあわせになってください|幡野広志 連載「ラブレター」第13回

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幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi