2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さん。この連載は、4歳の息子と妻をもつ37歳の一人の写真家による、妻へのラブレター。
よくがんばったね。
さいきん、渋谷のPARCOで写真展をしていた。会場でフラフラしていると20歳ぐらいの女の子に声をかけられた。とても緊張している様子だった、男の子でも女の子でもだいたいこういうときは趣味で写真をやっているか、写真学生でプロをめざしていて写真についてのアドバイスを求められる。
ぼくは人に緊張感を与えてしまうことがよくある。声をかけやすいタイプではない。勇気をだして声をかけてくれたから、勇気をだしてよかったとおもえるように、なるべくフレンドリーに会話をしようと心がけている。だから見た目よりも会話はしやすいタイプだ。
女の子は緊張をしすぎて、すでに泣きそうになっている。泣きそうな20歳の女の子と、フレンドリーにはなしかけようとする37歳の熊。PARCOの警備員が駆けつけてもおかしくない。警備員がくる前に写真の質問をするのだ、写真の話は得意なほうだぞ。
2年ぐらい前、彼女は高校に通えず不登校だったそうだ。そのとき悩んで、ぼくに相談をしたらしい。相談をされたことも、なんて答えたのかもまったく覚えていない。
ぼくは自己肯定感がとても低いので、こういうときになにか失礼なことを答えて、怒りにきたんじゃないかと緊張をしてしまう。ボディーブローをくらっても耐えられるように、お腹のぜい肉に力がはいる。
不登校だった彼女に映画をみたらいいと答えたそうだ。きっと好きでもない学校に苦しんで行くよりも、好きな映画をみたり、音楽を聞いたり、本を読んだりゲームをしてる方がいいって答えたんだとおもう。バカのひとつ覚えで申し訳ないけど、ぼくがいいそうなことだ。
彼女は現在、大学に進学をして食べものに関することを勉強しているそうだ。いまの自分がいるのは幡野さんのおかげです、そんなことを声をふりしぼってはなしてくれた。ぜんぜん写真の話じゃなかった、ぜい肉の力が抜ける。
彼女は不登校で苦しんだわけじゃない。不登校であることを友達と比べて、自分がダメな人間とおもいこんだり、先生や親など社会の大人が不登校であることを肯定できないから、期待に添えない自分をダメだとおもいこむ。不登校ではなく人間関係に苦しんだのだ、きっととてもつらかったとおもう。
お礼をいわれて恐縮だけど、留年をしないように高校に通ったのも、大学に進学できるよう勉強をしたのも、好きなことを見つけることができたことも、すべては彼女ががんばったからだ。周囲の人が励ましたり、サポートもしたかもしれないけど、がんばったのは彼女だ。
学校に登校することが生徒ならば、不登校は人生の研究生のようなものだ。嫌いなことから解放させて好きなことをさせればいい。心を病んでしまうよりもずっといい。
仕事で過労死や鬱になりそうな人に、頑張らないですこし休もう、ということがいえる社会になってきた。10年ぐらい前は甘えだと怒られてきた。声のかけかた一つで若い子の背中をおせて、感謝までされてしまう。デメリットを探すのが難しいほどいいことだらけだ、なんで大人はやらないのだろう。
きっと10年後は、不登校がいまよりももうすこし肯定的な社会になる。そのときに彼女は30歳だ。ぼくが彼女にしたように、10年後の彼女が不登校に悩む子に、やさしく声をかけてくれるとおもう。もしかしたらそれがぼくの息子かもしれない。
わたしが若いころはもっと大変だったのよっていうクソおばさんにならないように、苦しかったことを忘れず、不登校であった自分を否定しないでね。それから、よくがんばったね。(はなしかけたことも含めて)あなただったらきっと大丈夫だとおもう。
そういうときは、ぼくのせいにしてほしい
10年後のことを考えたときに、キミも優くんも苦労をするんだろうなっておもったりします。苦労というよりも迷惑やストレスという意味がおおきいのだけど、いいことも悪いこともぼくのことを引き合いに出されたりして、ウンザリするとおもうんです。
優くんからすれば「まーーーた、お父さんの話っすか。」ってなるとおもうし「ぼくは生きてるんですけどね。」ってぼくならおもう。これは防げないような気がする、優くんが通う小学校や中学校の図書館にぼくの本があるのだ。
そういうときは「お父さんのせいでうんざり」だよねって声をかけてあげて、ぼくのせいにしてしてほしい。ぼくは自主的に申し訳なさを感じるタイプではないので、遠慮なくぼくのことをディスってほしい。
ちいさい子どもが親を亡くしたとき、親の悪口をいうことができなくなっちゃうんだよね。周囲の大人からもそんなこといったらダメみたいなこといわれ口と感情を塞がれちゃうんです。親が生きてれば親の悪口をいえるのに、死んだらいえなくなっちゃうっておかしいよね。
ストレスや迷惑もたくさんあるけど、現実的なことをいえばいいこともたくさんあるとおもうんです。でもそういうときはお父さんのおかげで…なんてことはおもわなくていいです。
努力したことだったり、成果をあげたときは間違ってもお父さんが見守っていたからだとかいわないでね。それは本人の頑張りにほかならないものです。優くんはもちろんキミもね。
悪いことはお父さんのせいにして、いいことは自分のおかげにする。会社で部下に同じことをやったらただのウザい人だけど、ぼくだったらいいわけですよ。それがいちばん楽な生きかただとおもうんです。
よくわからん新興宗教みたいに悪いことが起きるのはお祈りが足りないから、いいことが起きるのはお祈りしたおかげとか、新興宗教の神さまもウザい上司もいいとこどりがすぎるよね。
ラクに生きるって、心がラクでいいとおもうんです。
また書きます。
幡野広志
はたの・ひろし
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi