妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載20回、
自分で産むのは諦めろ?
3回目、4回目、5回目の採卵が、ことごとく実を結ばず、そのうえ「ちょっとだけ着床した」と、妊娠の自覚もないうちにまた流産と診断され、私は自信を失いかけていた。
体外受精しても妊娠までなかなかたどり着けない。妊娠できたとしても流産してしまう。「数を重ねていけば、いつかは……」。そんな希望も消えそうになっていた。
そんなときに夫から手渡された本に書いてあった「養子縁組」の文字。妊娠と流産を繰り替えしてきた7年間、一度も思い浮かべたことのなかった文字だった。
私は、我が子を抱きたくて育てたくて、親になろうと努力しまくってきた。でも、その努力はすべて、自分が産むためのものだった。
夫は言った。「実は、すこし前から養子の話をしたいと思ってたんだけど、なかなかタイミングが見つからなくて」
妊娠と流産を繰り返し、体外受精がうまくいかず、疲弊していく私に、いつ、どんな風に話を切り出そうか。夫は夫なりに悩んでいたのだと思う。
でも、私は夫から養子縁組を提案されたことがショックだった。「お前はもう、産むことは諦めろ」と言われている気がして、悲しかった。
「そうだね、そういう選択肢もあるね」と、本を受け取り、目次を眺めるうちに、涙がこぼれた。
すぐに読む気にはなれなかった。
でも、「ふたりの血がつながった子が生まれるのであれば、それは最高だし、そうなってほしいと思う。不妊治療も納得するまで続けたい。でも、養親になるには年齢制限があるんだよ」との夫の言葉を聞き、気が変わった。
児童相談所や団体により年齢に差はあるけれど、「夫婦ともに45歳以下」とか、「子どもとの年齢差が40歳以下が好ましい」とか、養子縁組によって親になるには年齢制限が設けられていることを知った。
私はもう41歳になっていた。
私も親になれるかもしれない
不妊治療は、卵子がある間は何歳までも続けられるし、「もう無理! やっぱり出産までいけない! 諦めた!」となったら、いつでも止められる。
でも、自分で産むのを諦めたから、じゃ今度は「産まずに養子縁組で子どもを授かろう」と思っても、時すでに遅し……となる場合もあるのだ。
しかも、養親になるまでには申請から登録まで1年ほどかかることもあるらしい。
妊娠できる可能性が限りなくゼロに近くなるまで、心が完全に折れるまで、不妊治療は続ける。でも、養子縁組の準備も進めておいてもいいんじゃないか。
私は、夫から受け取った翌日に、その本を隅々まで読んだ。
そして、その日のうちに、夫に「養親として申請しよう」とメールした。
夫はすでに、多数ある民間団体のなかから、ここはと思うところをピックアップしてくれていて、すぐに申請の手続きをとってくれた。
民間団体だけでなく、児童相談所にも。ほんと、いつから準備してくれてたんだろ、夫は(笑)。
そんな風に、私の気持ちが180°変わったのは、本を読んで、血がつながっていなくても、私も親になれるかもしれないと思えたから。
それまで、私が養子と聞いて思うのは、「何らかの事情があって、産みの親に育ててもらえなかったんだね……かわいそうに」だった。
だからこそ、自分が育ての親になることを思うと、養子であることで子どもがいじめられたらどうしよう、一生消えない心の傷を抱えていたら私に癒してあげられるだろうか、と不安ばかりが浮かんだ。
でも、養子縁組を経て親子になった方々の体験談を読むにつれ、「私だったら、子どもにこうしてあげよう、こう言おう」と具体的にイメージできるようになり、自信が湧いてきた。
子どもが「産みの親と離れてしまった自分はかわいそうだ」と思うことなく、「お母さんが2人いてラッキー」くらいに思えるように育てたい。そう思えた。
いえ、「お母さんが2人いて……」はちょっと突き抜けすぎているとは思いますが、その時の私には、それほど楽観的に考えられるくらいの自信が、急速に湧いたのです。
頑固だと思っていた自分が一晩でここまで変わるとは。オドロキだった。
続きは第21回にて。
写真のこと:たまに夫婦で多摩動物公園へ行く。動物たちを見て興奮して、けっこうな急坂を歩きながらいっぱい話して、本当に心癒される。ふと見ると、前を歩くカップルの姿とライオンの檻の影が重なり、仲良く一緒に線路の上を進んでいるように見えて、さらに癒された。盗撮スミマセン。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。