妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな43歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載28回、養子縁組を検討してから自分の意識が大きく変わったことに気づく。
うちへおいでよ!
養子縁組に向けて動き出してから半年、よその子どもを見る私の目が変わった。
流産を繰り返して、何度も絶望し、この世のすべてを恨んでしまいそうになっていたとき、街で出会う親子が妬ましくて仕方がなかった。
でも、養子縁組を考え始め、誰かが産んだ子どもが自分の子どもになるかもしれない可能性が見えてきたとき、「もしも、この子が自分の子どもだったら」と街で子どもに出会うたびに考えるようになった。
すると出会う子どもが、みんな愛しく思えてしまうのだ。
かつて、赤ちゃんを見るたび、子どもに出会うたび、悔しくて涙が溢れて、幸せそうな親子に向けて、ともすれば心の中で「シャーーーッ」と、苛立った猫のように威嚇音を発していた自分がウソのようだった。
どの子がうちに来てくれても、楽しいだろうな。
(いや、実際に街で出会った子どもがうちに来ちゃったら誘拐なんだけど)
その変わりようも、街で子どもを見かけるたびにニヤニヤしている様子も、自分で「ちょっと気持ち悪いな」と思うほどだった。
人って、考え方ひとつで変わるもんだな……。
そんな「みんな、うちにおいでよ!」モードは、さすがに気持ち悪いし、危険だと思うのだけど、もう街を歩いていても、ドス黒い感情が燃え盛ることがなくなったので、それはそれでよかったじゃないかと思う。
一方で、体外受精に対するモチベーションは下がったまんまだった。採卵→受精確認→凍結確認→移植→判定……というベルトコンベアに、感情をすり減らしながら乗っかっている気になれなかった。
どうにもこうにも気分転換したい。
そんなときは旅行が一番なのだけど、夫が仕事で多忙を極めており、かといって私もひとり旅の気分でもなかった。
そこで思いついたのがホテル生活。
夫の仕事場の近くのホテルで3日間過ごすことにした。
しかも、せっかくなので排卵日あたりに設定して、ゆる〜く子づくりもしようか、ということになった。
夫とホテルのビュッフェで朝食をとったあとは、部屋で原稿を書き、昼はホテル近くの蕎麦屋へ、午後は打ち合わせに出かけて、またホテルに戻って原稿を書く。そして夜は夫と薬膳鍋を食べて、ホテルで仲良く寝る。
都会のど真ん中のホテルだったけど、めちゃくちゃリラックスできた3日間だった。
なーんだ、わざわざリゾートに行かなくても、気分転換なんてできるんだね。私って簡単。
研修と面談と家庭訪問
そんななか、養子縁組の民間団体Fの実践研修を夫婦で受けた。
実践研修ではグループディスカッションを行ったのだけど、面白かったのは、数組の夫婦がそれぞれ、養子を育てていくにあたって、起こり得る問題を書き出して、その解決法を話し合うというもの。
「子どもが、養子であることにショックを受けたらどうしよう」「いじめられたらどうしよう」
こうしよう、こう言ってあげよう、夫婦で話し合ったり、自分でなんとなく考えていたりした答えはあったが、声に出して誰かに話してみると、考えが強く固まっていった。
それと同時に、ほかの夫婦の意見を聞くことで、よりよいと思われる答えが見えてきたりして、とても意味のあるディスカッションだと思った。
子どもとともに抱える問題の正しい解決法は、きっとあるのだと思うのだけど、やっぱり結局、一番大切なのは、子どもを全力で愛して、全力で守ることなんだな、と確信した研修でもあった。
その研修のあとは、Fの事務所での夫婦面談。
質問されるままに、自分たちの子どもの頃のエピソード、家族のこと、夫婦お互いの好きなところや嫌いなところなどを話す。
面談は、自分という存在を改めて発見できたような気持ちになり、とても楽しくって、気づけば2時間が経っていた。……話しすぎたかも。
面談をご担当くださった方々は、私たち夫婦の考えや関係性などを見極めていらっしゃったのかと。
そして、面談のあとはホームヒアリングという名の家庭訪問。
我が家のリビングで1時間ほど、養子を迎えるにあたっての気持ちを話したりしたあと、家の隅々を案内しながら「ここには赤ちゃんが入れないようにゲートをつけたほうがいい」「この家具は危ないから撤去したほうがいい」などの指導を受けた。
より具体的に赤ちゃんとの生活をイメージできて、養子縁組への期待がグイーーーンと高まった。
そんな感じで養子縁組の準備が進むなかで、望まぬ月イチのお客さん……生理がやってきた。
“ホテルでゆるく子づくり作戦”は実を結ばず。
まぁ、そんな簡単にはいかないよね。
その後、がっかりした心を抱えて出演したライブの会場で、久しぶりに友人のDJ妊婦(臨月)と会った。
彼女には不妊治療のことを話していたので、「もうすぐ出てくるね〜、うちは相変わらずだよ〜〜」なんてことを話した、と思う。
そしたら、その時は何にも言わなかった彼女から帰宅後にメールが来て、「ヨシケイ(私の愛称)さんの顔を見たら、ホントにすぐ赤ちゃんが来そうって妊婦の勘で思った! 無責任なことを言ったらダメなのかもだけど、ホントそう思った!」と。
なんだか、不思議とそのメールで、「もうちょっとがんばってみっか」と思えた。
続きは第29回にて。
写真のこと:子どもの頃に母から名前を教えてもらった花、ハルジオンとヒメジョオン。このふたつは見た目がとっても似ている。こちらはおそらくハルジオンのほう。公園の花壇で春風に揺られているのを発見した。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。