僕は癌になった。妻と子へのラブレター。

君が美味しそうにカニを食べてるのをみて|幡野広志「ラブレター」第55回

できればぼくは海老がいいけど

コピーライト 幡野広志

「ゆうくん、カニが食べたいんだよね」

ここ数日、耳にカニができるほど息子にいわれた。息子に空前のカニブームが訪れた。ぼくは知っている、息子はきっとカニを食べない。息子の「カニが食べたい」は「カニが見たい」とほぼ同義語だ。

そもそも息子がカニに興味を持ったのは、妻が子どもの頃に旅行した海街の宿で、妻のお父さんが夕食のカニグラタンを子どもだった妻にくれたというエピソードを聞いてからだ。妻のお父さんはもう18年前に亡くなっている。故人の優しかった思い出話はいいものだ。かなしい思い出よりもずっといい。カニグラタンのエピソードがぼくは好きで、よく話題になっていた。耳にカニができたのは息子なのかもしれない。

もしかしたら息子はお母さんがカニグラタンをもらったように、自分もカニグラタンをもらいたいのかもしれない。でもたぶん、息子はカニグラタンも食べない。ずっと一緒に住んでいるのでなんとなく想像ができる。

だけど「子どものことを否定しない」という我が家の憲法に抵触するので「どうせカニ食べないでしょう」とはいわない。妻が子どもの頃に旅行した場所は伊豆の戸田というちいさな港町のようだ。「とだ」ではなく「へだ」と読む。ぼくはそれなりに日本中をぐるぐると旅しているつもりだけど、はじめて聞いた名前だった。

息子のカニ欲を満たすことと、妻の思い出をめぐるために戸田に向かった。三島で一泊して翌日の昼には山道を抜けて戸田に到着した。タカアシガニの水揚げで有名らしく、いたるところにカニのオブジェがある。息子は嬉しそうだ。妻は思い出にひたっているのか、山道の運転に酔ったのか黙っている。

ちなみにぼくはカニが苦手だ。カニを食べるとお腹をくだしてしまう。カニには申し訳ないけど、そもそもカニは食べにくい。できれば海老がいい。海老は大好きだ。『天空の城ラピュタ』でドーラがおおきな海老を食べながらパズーに説教するシーンがある。「40秒で支度しな」の直前のシーンだ。あのシーンがおおきなカニなら絵にならない。きっとパズーに目もくれず、黙々とカニの足の身をほぐしてしまう。

そんなことをカニの専門店でこれでもかという量のカニを食べながら考えた。案の定、息子はちょっとしかカニを食べない。ぼくはバッチリお腹の調子が悪くなった。妻はたくさん食べて満足そうだ。戸田のお土産に1mぐらいの生きたタカアシガニと冷凍のカニグラタンを買って帰った。

次の旅行はどこに行こうか

コピーライト 幡野広志

ぼくは本物にふれることって大切だと思ってます。おもちゃのカメラを子どもに渡しても、たいして使わないけど、大人とおなじ本物のカメラを渡せばちゃんと使います。カニだってちょっと振り切ってしまうぐらいの本物を体験することが大切だと思います。そのほうが大人だってたのしいし、カニの勉強にもなるしね。

満足をしたのか納得をしたのか、カニの旅をしてからから優くんは「カニが食べたい」ってまったくいわなくなったね。なんとなくだけど、お母さんがカニをたくさん食べる姿をみて満足だったんじゃないかとも思います。もしかしたらお母さんにカニを食べさせてあげたかったんじゃな。ぼくはカニってあんまり好きじゃないんだけど、君が美味しそうにカニを食べてるのをみて、やっぱり満足だったもん。好きな人が美味いもの食べてるっていいことなのよ。個人的にはカニを解体できたのが良かったです。タカアシガニの生態や戸田のことを知れたのもたのしいです。

次の旅行はどこに行こうか。ぼくはいま青森で一人旅をしています。こんど冬になったら秋田でもいって、かまくらでもみんなで体験しましょう。かまくらの話をたくさんして優くんの耳にかまくらを作ってみようかな。

また書きます。

コピーライト 幡野広志

この連載が本になりました。

とてもとてもうれしいお知らせです。

この連載の第1回から第48回までをまとめた一冊「ラブレター」が発売中です。

要出典 幡野広志 ラブレター: 写真家が妻と息子へ贈った48通の手紙

失敗を隠す必要がない関係|幡野広志「ラブレター」第54回

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家族で来た冬の知床で。|幡野広志 連載「ラブレター」第24回

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幡野広志

幡野広志

はたの・ひろし

1983年生まれ。
写真家・猟師。妻と子(2歳)との3人暮らし。2018年1月、多発性骨髄腫という原因不明の血液の癌(ステージ3)が判明。10万人に5人の割合で発症する珍しい癌で、40歳未満での発症は非常に稀。現代の医療で治すことはできず、余命は3年と診断されている。 https://note.mu/hatanohiroshi