妊娠はするものの流産や死産を繰り返す「不育症」。原因が分かれば治療法が分かる場合もあるが、検査するもまったく異常なし。そして現在まで、いつか奇跡的に出産までたどり着けることを信じて、ただひたすら子づくりに励む日々が続く。そんななかで見つけた、養子縁組という、もうひとつの“母になる方法”。そんな42歳の編集者&バンドマンによる不妊治療と養子縁組の泣き笑い日記。連載第10回、不育症の検査を受けることを決意する。
嵐の晩に叫ぶ
ようやく胃痛も落ち着き、3度目の妊娠&流産前の食生活を取り戻してきた頃、夫婦の間でミーティングが行われた。
で、体外受精する? いつする? それともしない?
今までの打率を見ていると、すぐにヒットを打つ……つまり自然妊娠するのは難しいだろうと思った。しかも、ヒットを打って、着床という名の1塁に出たとしても、2塁まで進めたことは一度もない。
2塁は……そうだな、たとえば心拍確認とか?
ヒットを打って、打って打って、打ちまくっていれば、いつかは2塁に進めるかもしれない。でも、2塁の前に、見えない落とし穴があるとしたら?
2塁に向かって何度走っても、落とし穴に落ちて、いつまでも2塁にはたどり着けない。3塁(安定期とか?)やホームベース(出産かな?)なんて夢のまた夢だ。
2塁に向かって走るのが怖い。
「もう、妊娠したくない」
ポロッと本音が出た。子どもはほしい。産みたい。でも、また流産してしまうのが、ものすごく怖い。
ミーティングを行った夜は、タイミングがいいのか悪いのか、夏の終わりの台風が東京を直撃していた。バルコニーの手すりを叩く雨の音、窓の隙間から流れ込んでくる風切り音がBGMだった。
そのせいで、感情もゴウゴウと勢いよく吹き荒れてしまったのかもしれない。
「本当はもう、妊娠なんかしたくないよ!」
BGMが大音量なのをいいことに、大声で叫び、ここぞとばかりに泣いた。しゃっくりが出るくらいに。今思うと、いい歳こいてチョット恥ずかしいけど、その時は、なんかもういいや、嵐だし……って感じだったのかな。とにかく感情を大放出した。
そして、気づいたら、私の目の前で、夫も目からポロポロ涙をこぼしていた。
夫が泣いているのを見たのは、初めてだった。
そうか、流産したことで、私だけが傷ついていたのではなかった。夫も一緒に傷ついていたのに、きっと私を支えようと、一生懸命がまんしていてくれてたんだ。
そのことに気づいたら、もう少しだけ、がんばれる気がした。打席に立てる気がした。
落とし穴は、どこだ?
とはいえ、2塁の前には落とし穴があるかもしれない。「流産」「3回」……ネットで検索すると「不育症」という言葉に行き当たった。
不育症のうち、流産を2回以上繰り返した場合を「反復流産」、3回以上繰り返した場合を「習慣流産」と呼ぶらしい。その原因は、回避できないものもあれば、血が固まりやすい体質など、原因がある場合もある。
原因があれば、治療もできる。落とし穴を、落ちてしまう前に、見つけられるかもしれない。
そして、すぐに、都内で不育症の検査を受けられる病院を探した。評判や通いやすさなどを考慮して、私たちが選んだのは西新橋のJ病院だった。
しかし、翌日に検査予約の電話をしてみるも、予約がとれるのは3ヶ月後とのことだった。対応できる医師が少ないうえ、患者が多すぎるのだろう。
そ、そんなに待つの!?
……待つしかない。このまま体外受精で1塁に出られたとしても、落とし穴があるかもしれない2塁に向かって、全力疾走するなんて無謀なことはできない。
結局、自分のスケジュールと照らし合わせて予約がとれたのは、5ヶ月後の2月だった。
5ヶ月。とにかく自分の子宮から気をそらすために必死でスケジュールを埋めた。
夫とタイのサムイ島を旅行した。弾き語りやライブの予定を詰め込んだ。バンドのセカンドアルバムのレコーディングもスタートさせた。仕事も引き受けまくって、毎週のように出張に出かけた。
その出張先で訪れた福岡で、不妊治療の末に元気な女の子を産んだ友人に会った。排卵誘発剤を自己注射するなど、「ここまでしなければ自分は子どもが産めないのか」と悔しくて悲しくて、泣きながらがんばったという彼女の話に、背中を押してもらった。
そうして、背中を押してもらった勢いで、“産まない嫁”でなくなるまでは行くまいと決めていた夫の実家へ、正月に帰ることにした。続きは第11回にて。
写真のこと:初めての街を歩いていたら、植木鉢の陰にフワッとしたものがチラッと見えた。覗き込むと、植木鉢と排水管の隙間に挟まるようにして昼寝をしている猫がいて、“お気に入りの場所”とは人(猫?)それぞれだなと思った。
吉田けい
よしだ けい
1976年生まれ。編集者・バンドマン。2010年、6歳下の夫と婚前同棲をスタートして早々に、初めての妊娠&流産を経験。翌年に入籍するも、やっとの妊娠がすべて流産という結果に終わる。その後、自然妊娠に限界を感じ、40歳になる2016年に体外受精を開始。2018年11月、構成・編集を手がけた書籍『LGBTと家族のコトバ』(双葉社)を出版。